晏嬰が楚の国に使者として訪れると、門が閉められていた。そして「その犬用の門をくぐって入れ」と、とても小さな門を指差された。

 斉国の使者ともあろうものが、犬用の門をくぐったら、本国に恥をかかせることになる。かといって、そのまま怒って帰ってしまったら、使者としての使命が果たせない。絶体絶命の窮地に陥った晏嬰、どうする?

 すると、晏嬰は次のように言った。

「楚の国が犬の国だというのなら、この門をくぐろう」

 晏嬰は見事、「思考の枠組み」をずらすことに成功した。もし晏嬰が犬用の門をくぐれば、楚の国が犬の国だと認めたことになる。むしろ、くぐられては困るのは、楚の国のほう。やむなく、楚王は正門を開くことを許した。

 しかしこのことが悔しくてならない楚王は、食事の席で晏嬰に恥をかかせようとした。

 宴席の最中に、泥棒を働いた斉の人間を引きずり出したのだ。楚王は「斉の人間は、みんな泥棒なのか?」と、ニタニタ笑いながら、晏嬰に問いかけた。

 ここで晏嬰が「そんなことはない」と反論しても、事実、目の前に斉人で泥棒がいるわけだから、言い訳にしか聞こえない。うろたえればうろたえるほど、楚王はからかうだろう。これまた絶体絶命のピンチに陥った晏嬰、どうする?

 すると、晏嬰は次のように語り始めた。

「枳(カラタチ)と橘(タチバナ)という木をご存知ですか。同じ種類の木なのですけれど、川を挟んでこちら側と向こう側では、葉の形から実の姿まで、違ってしまいます。その土地の風土の影響を受けるからです。斉では泥棒をしない人間が、楚で泥棒を働くということは、楚の土地は人間を泥棒にしてしまうのでしょうか」

 晏嬰を「思考の枠組み」の中で追い詰めようとしたのに、逆にたくみに思考の枠組みをずらされて、楚王が追い詰められる結果に。楚王は「こりごりだ」と言って、以後、晏嬰をからかうようなことはせず、見事、晏嬰は使者としての役割を果たした、という。

 晏嬰の切り返しは見事すぎて、ごく普通の凡人でしかない私たちには、とっさにはとてもまねのできないものに思える。しかし、普段からこうした思考を訓練することで、だんだんとうまくなるのは確かだ。

 その意味で、子育ては、「思考の枠組みを挟む、ずらす」ということを訓練する、格好の練習になる。ビジネスと子育ては、共通する点が非常に多い。男性も女性も、子育てを自らを鍛える場として、捉え直してはいかがだろう。