メイ首相も、「延期が長引けば、5月のヨーロッパ議会選挙にイギリスも参加せざるをえなくなる」と、離脱強硬派に再考を求めている。欧州議会選挙もまた一つの節目となろうが、「決められない政治」はいつまで続くのであろうか。
14日には、離脱を6月30日まで延期するかどうかの採決が行われた。EU離脱延期案は413票対202票の賛成多数で可決された。この延期には、EUとの間でメイ首相がまとめた離脱協定案を3月20日までに可決することが条件として付されている。しかし、これまで2回否決された協定案が3度目に可決されるかどうかは不明である。
今回の採決で、反対票の93%の188票は与党・保守党の議員であり、バークレイ離脱担当大臣ら閣僚の多くや保守党幹部も反対票を投じている。またEU側は、延期理由の明確な説明を求めているし、延期にはEU27カ国の承認が必要である。
状況はまだ混沌としていると言ってよい。
「独立独歩路線」を待ち受ける茨道
このイギリスの迷走劇を巡っては、国際政治の観点からも民主主義論の視点からも、様々な論点が浮かび上がってくる。今回はその問題点を論じてみたい。
第一は、パックス・ブリタニカは70年前に終わったのに、イギリス人がいつまでもそれが続いているかのような幻想を抱いているのではないか、ということである。
18世紀初頭にイギリスは、オランダを抑えて、7つの海を支配する覇権国となった。「世界一の大国」イギリスが支配する世界秩序をパックス・ブリタニカと呼ぶが、それは、第二次世界大戦終了まで約250年間続く。その後を襲ったのがアメリカで、今はパックス・アメリカーナの時代である。
19世紀半ばに、ドイツやイタリアが統一すると、イギリスは欧州大陸諸国間の調整役を任じてきた。第一次大戦後、ドイツに対して寛大な政策をとったのは、対独強硬派のフランスとのバランスをとるためである。ヒトラーに対して宥和政策を展開したのもそうであり、ナチスをボルシェヴィキのソ連に対する防護壁として利用したのである。この政策がヒトラーを増長させ、第二次世界大戦へとつながるのであるが、バランサーとしての強大なイギリスの力がよく理解できる。