――2012年12月の総選挙で、安倍総裁の下で自民党は勝利して政権に復帰しました。当時の自民党への支持は、国民の中にあった「民主党ではだめだ」という反・民主の票が自民党に流れたという、いわば消極的な支持が多かった。現在は、「やっぱり自民党でなきゃだめだ」という積極的な支持が増えているという実感はありますか。

 そこは分かりません。民主党政権時代、私も主に野党・自民党の政調会長として、予算委員会で鳩山総理や菅総理、野田総理に対して多くの質問をしました。そこで彼らの政策、政権運営を徹底的に批判しました。

 あのときの自民党が立派だったなと思うのは、当時、衆議院議員がたった119人になってしまった中、谷垣総裁の下で党綱領を作り直したことです。国で言えば憲法に当たる党の綱領を、あの最も苦しい時期に、党の再生のために作り直したのです。

 その綱領には、侃々諤々の議論の末に、自民党は「勇気をもって自由闊達に真実を語り、協議し、決断する」という言葉や、「多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる」政党であるという宣言が盛り込まれました。さらに党の基本的な考えとして、「政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める」としています。

「なぜ自分たちは野に下ることになったのか」という反省の下にこの綱領を定め、「自分たちはこれからこういう政党になります、ですから皆さん、支持してください」ということで2010年1月に国民に提示したわけです。

 その年の7月の参議院選挙で、谷垣総裁は公約にあえて『消費税10%』を掲げられました。党内からは「野党なのにそんなことを言ってどうするんだ」という意見もあったのですが、谷垣総裁は「言うべきことは言わねばならない」として譲られなかった。結局、この参議院選挙で与党・民主党は議席を減らし、自民党は大きく伸ばしました。このように、批判を恐れず、言うべきことを言う自民党に対する期待が大きくなったからこそ、2012年の総選挙で政権を奪還できたのだと思うんです。

 その後、果たして自民党は綱領に掲げたような党になりえたのだろうか。最近も「魔の三回生」が話題になっていますが、野党時代の苦労を知らない議員が多くなってきていることも背景にあると思います。

 そういう中で、いみじくも安倍総理が民主党政権を「悪夢のような」とおっしゃいましたが、「あの民主党に比べればマシでしょう」っていう程度では本物の支持は得られません。有権者の方には「自民党のここがすばらしい」ということで選んでもらえる党にしたい、と今も思っています。

角栄流「報いを求めない親切心」

――石破さんは、田中角栄、渡辺美智雄の両氏を政治の師としている。有権者との向き合い方で2人から学んだことは何か。

 角栄先生は、「歩いた家の数しか票は出ない、握った手の数しか票は出ない」という考えを徹底しておられました。とにかく街頭演説をやれ、挨拶廻りを徹底しろとおっしゃっていました。古いやり方に見えるかもしれませんが、やっぱり「代議士」ってそういうものだということをおっしゃっていたのだと思います。選挙区を知らないとこんな仕事はできない、そして地元の人たちを説得できないでこんな仕事はできないっていうことなのだろうと思います。

 角栄先生の人気は今でも衰えていませんが、近くで接した者として感じるその圧倒的魔力というのは、「報いを求めない親切心」にあるんだと思います。角栄先生の親友だったうちの父親(石破二朗氏。元鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任)が亡くなる間際、鳥取で療養していたんですが、『死ぬ前に一度田中に会いたい』と漏らした。そうしたら田中先生はわざわざ鳥取に来てくださいました。そして父は、角栄先生に葬儀委員長を頼んで亡くなりました。父は鳥取県知事を4期務めたため、葬儀は鳥取県民葬になりました。そこで角栄先生は「県民葬の葬儀委員長は現職の知事に決まっている。俺は友人代表で弔辞を読む」と言って、また鳥取まで来て、「石破、お前と約束したけど、葬儀委員長はできない。許してくれ」と泣きながら弔辞を読んでくれました。

 驚いたのはさらにその後、東京でもう一度、「田中派葬」という形で葬式を上げてくれたことです。「お前のおやじとの約束を果たすぞ」っていって葬儀委員長を務めるために、わざわざですよ。

 私の結婚式の時に、親代わりとして、うちのおふくろの横に立ってくれたのも角栄先生。そういう行動は、角栄先生にとって何のプラスにもならないんです。でも約束を必ず守るというその姿勢、報いを求めぬ親切というものが角栄先生の真骨頂。その姿が今も国民に浸透しているからこそ、人気も衰えないのだと思います。

 渡辺美智雄先生も有権者と深く付き合うタイプの政治家でした。私が議員になる一年前、昭和60年夏の渡辺グループの研修会で、先生はこう述べられました。「政治家の仕事というのは勇気と真心をもって真実を語ること。それだけである」と。

 この言葉は、実は先ほど触れた自民党綱領の、「勇気をもって自由闊達に真実を語り、協議し、決断する」の部分の下敷きになっています。私が強く主張して、渡辺先生の言葉をそのまま入れてもらいました。先生は、「お前たちは何のために国会議員になろうとしているのか。金が欲しいだの、いい勲章がもらいたいだの、先生先生と呼ばれたいだの、女にもてたいだの、そんなことを考えている奴は絶対に政治家になるな」とそれは厳しく言われました。渡辺先生の下で、政治家とはそういうものだというのを叩きこまれました。