日中・日米関係史からの読み

 有史以来の日中関係を概観すると、朝貢外交をはじめとして、日本が中国(経由地としての朝鮮半島を含む)と関わりをもった時、日本は大陸や半島の混乱に巻き込まれている。逆に、関係をもたないときは平安が続いた。

 平家の天下は清盛の南宋貿易から一代の栄華で終わり、天下人の豊臣秀吉も半島出兵で一代政権に終わった。他方で、関東武士の流れを汲む源頼朝、足利尊氏、徳川家康は幕府を開き150年から270年の長期政権を維持した。

 江戸の太平を破ったのはペリーの来航であり、明治維新を経て再び半島・大陸に関わり日清・日露戦争、そして大東亜戦争へと繋がり、かつて経験したことのなかった敗戦で米国による占領政策を強いられた。

 戦後の約30年間は大陸と途絶し、日本は著しい復興を遂げた。しかし、1972年の日中国交正常化以降は中国への媚中外交に翻弄され、7兆円に上るODAや資源ローンを中華人民共和国につぎ込む。

 結果は期待に反するどころか、自由・人権や法の支配といった普遍的価値観を否定し、強大化した軍事力を背景に独自の社会主義世界を目指し、日本を敵視する今日の中国を出現させることにつながった。

 以上に見るように、対中接近・関与は歴史が示すとおりあまり良いことはなく、適当な距離が必要である。それでも、つき合わないわけにはいかない。

 第1次政権の安倍首相は、真っ先に中国を訪問して「戦略的互恵関係」を打ち出す。しかし、その後の日中関係は、戦後最悪とまで言われるようになっていく。

 政権に返り咲いた安倍首相は、中国の頑なな反日姿勢に動ずることなく、この原則を曲げることはなかった。

 そうした中で、米国の高関税や新植民地主義と批判され始めた一帯一路の突破口を開くべく中国が日本に近づいてきた。そこに実現した今回の相互訪問による首脳会談である。

 安倍首相にとってはまたとない機会であった。