いよいよ最後のイベントの「出世式」(=火渡り)である。「出世式」とは、薪を燃やした炎の上を飛び越えることによって、十界修行をしてきた死に装束姿の山伏が、参道(=産道)を通って、ついにこの世に生まれ変わって蘇るという意味を持つ儀式である。火のチカラで浄化されるとともに、生まれる最後の瞬間を象徴的に表現しているのだという。山伏修行とは、死と再生に関わるものなのだ。

 無事終了。 あーあ、これで終わってしまった。終わってしまうと、なんだかあっけない。 初日の羽黒山の石段上り下りがけっこうつらかったので、どうなることかと思いもしたが、なんとか最後まで挫折することなくやり通すことができた。

最終日の「精進落とし」は豪勢な料理

 山伏装束を脱ぎ、私服に着替えると、俗世間に戻ってきたという実感を持つことになる。貴重品を返却してもらい、腕時計を装着、携帯をチェック、デジカメも手にする。「情報断食」は終わった。まさに俗世間に戻ってきた瞬間だ。

 その後、宿坊に移動し、宿坊の風呂で3日ぶりに汗を流し、ヒゲを剃る。そして、待ちに待った「精進落とし」だ。庄内地方の食材をふんだんに使った豪勢な料理である(下の写真)。銘々膳の前に胡座をかいて座り、生ビールを飲む。ああ、ビールがうまい! スポーツで汗を流したあとではない。死に装束で修行してきたのだ。生まれ変わって俗世間に戻ってきたからこそ、余計にビールがうまいのだ。修行期間中の一汁一菜とのコントラストは、あまりにも大きい。

精進落としは土地の食材を豊富に使った豪勢なもの(筆者撮影)

 体験修行を終えたあと、この3日間を振り返ってみた。 なんといっても重要なのは精神力だと痛感した。体力もさることながら精神力。3日間をやり抜いた充実感。五感をフルに解放したこの3日間は実に素晴らしい体験であった──。

 以上が、私が参加した8年前の「山伏体験修行」の記録である。非日常体験であり、俗世間の流儀とは真逆かもしれないが、こういう世界もあるのだということを知っておいてほしいと思う。価値判断は別にして、“日本型修行”のあり方を凝縮しているからだ。