一度は「山伏姿」になってみたかった

 富士山がその代表的存在だが、白装束で金剛杖をつきながら集団で登山している信仰登山者たちに出会うのは稀なことではない。日本では霊山信仰に基づく信仰登山から登山が始まったことを知れば、山伏が行う信仰登山の存在も身近なものに感じられるのではないだろうか。

 筆者はずいぶん前に地方の観光事業に関する記事を読んだときから、「山伏体験修行」にぜひ参加してみたいと思っていた。なかなか実現に踏み切れなかったが、何ごともキッカケが重要である。「断食参籠修行」を体験した以上、次は「山伏体験修行」をしなくてどうするのだという、強い気持ちというか、まあ勢いみたいなもので参加に踏み切った。

 ネットで検索していて見つけたのが、「山伏修行体験塾」であった(参考:山伏修行体験塾/羽黒山観光協会)。個人参加では9月限定だが、「2泊3日コース」への参加が義務づけられている。願ったり叶ったりではないか! さすがに「日帰り」では修行のうちに入らないであろう。

 以下の文章は、参加後にブログに書いた体験記をもとに再編集したものだ。実際のところ、体験塾参加中は朝から晩まで、次から次へと続くメニューに追いまくられ、ものを考えている余裕はなかったのが実情だ。「断食参籠修行」と同様、「情報遮断」が要請されるので写真もメモも一切取っていない。あくまでも記憶にもとづいたものである。写真は一部を除いて、体験修行期間外に撮影したものであることを、あらかじめお断りしておく。

山伏の白装束は死に装束

「山伏体験修行」は、「体験」という名称は入っていても、あくまでも修行は修行である。単なる山伏姿のコスプレではなく、修行であることには変わりない。参加にあたっては「誓約書」の提出が求められる、自己責任の世界である。

 とはいいながら、まずは型や形から入るのが日本型修行のあり方だ。あくまでも「体験修行」なので本格的な「山伏修行」と異なるのだが、基本は同じである。体験用装束のうち、白衣、袴(はかま)、脚絆(きゃはん)、帯、地下足袋は貸与されるものを使用する。宝冠とフンドシは、金剛杖とともに参加費に含まれているので、自分用として持ち帰ることができる。

山伏の白装束を身に着けた筆者。終了時の集合写真より

 身に着けるものはどれも白く、全身が白装束となる(右の写真)。言い換えれば、死に装束である。山伏修行に入るということは、象徴的にいったん死んで、再び生まれ変わるということを意味する。死と再生である。いわゆる「十界」を経巡って再生に至るイニシエーションのプロセスなのである。

 下着はフンドシを着用する。戦後生まれの世代で、日常的にフンドシを使用している人はごく一部だけだろう。私はといえば、大学時代に日本生まれの武道である合気道をやっていたが、それまでフンドシを締めたことはなかった。修行の1つである禊ぎの水垢離(みずごり)や滝行では、男子は文字通りフンドシ一丁で水に入ることになる(ただし、女子は水着着用なのでご安心を!)

 足回りは、軍足のうえに白の地下足袋を履き、その上に白の脚絆(きゃはん)をつける。これは登山用具のスパッツのようなものだ。なんせ山伏修行とは、ほとんどが信仰目的の山歩きなのである。