「天高く馬肥ゆる秋」である。秋は実りの季節。海の幸も山の幸も、さまざまな食材が豊富に出回る秋は食欲の季節でもある。秋は、食に関する話題を扱うのにふさわしい。
前回のコラム(「楽園ビーチリゾートの衝撃的『奇祭』を知っているか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54300)では、10月9日から9日間にわたって続いた「ベジタリアンウィーク」と、タイのリゾート地プーケットで行われる、「ベジタリアンフェスティバル」という知る人ぞ知る衝撃的な「奇祭」について取り上げた。肉を断つ菜食主義の「ベジタリアン」について取り上げた以上、食に関してはベジタリアンよりもさらに過激な「断食」について触れないわけにはいかないだろう。断食とは、文字通り食を断つことだ。
近年、「ファスティング」という名称のもとに、日本でも「断食」が普及するようになってきた。断食のことを英語で「ファスト」(fast)といい、断食を行うことを「ファスティング」(fasting)という。著名人たちが、伊豆や蓼科などのリゾートホテルでファスティングを行っているという話を耳にすることもあるだろう。至れり尽くせりの環境で、リラックスしながら行う断食のことだ。断食とはいいながらも、栄養に配慮した健康ジュースなどを口にすることができるらしい。
とはいえ、日本語本来の「断食」は、カタカナ語の「ファスティング」とは微妙に違うものがある。仏教や神道などの宗教的背景をもつ「断食」においては、水以外はいっさい口にしないのが原則だ。断食とは余分なものは摂取しないという「引き算の発想」だ。すでに定着している「断捨離」(だんしゃり)も仏教に由来する発想である。断食が意味をもつのは、マイナスをポジティブに評価するという発想でもある。
今回は、私自身が8年前に実体験した「断食修行」について具体的に語ってみたい。断食を体験した場所は、千葉県成田市にある成田山新勝寺の参籠堂である。ダイエットとデトックスだけならファスティングで問題はない。これに、それに加えてスピリチュアルが加わると断食になる。「断食修行」に関心のある方に参考となれば幸いである。
「断食修行」へのあこがれ
成田山で「断食修行」することにしたのは、いまから8年前のことだ。たまたま『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道著、春秋社、2004年)という本を読んだことがきっかけだった。著者の光永覚道師は天台宗の大阿闍梨で、1990年に「千日回峰行」を達成している。平安時代以来、史上50人目の千日回峰行者である。
「千日回峰行」とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山の約30キロメートルの山道を、早朝2時から約6時間の猛スピードで礼拝する「回峰」を「千日」行う修行のことだ。これを7年かけて行う。
その途中、5年かけて行う700日の回峰行を終えると「堂入り」が待っている。「明王堂」に籠もって、「断食・断水・不眠・不臥」という超人的な荒行を行うのである。
具体的には、「飲まず、食わず、眠らず、横にならず」をまるまる9日間行う。それだけではない。その間、ひたすら不動明王の真言を唱え続けるのである。これはもう凄まじいの一言に尽きる。人間は、しばらく食べなくても死にはしないが、水を飲まないと脱水状態になってしまい、生命の危険に直面する。光永覚道大阿闍梨も、満願成就の際には死相が現れていたのだそうだ。さすがに、こんな荒行は一般人が真似できるものではない。いや、真似してはいけない。
ところが、こんな記述を読んでいると、がぜん自分にできる範囲内でやってみたくなるのが私の性分だ。この本に触発されて、私は成田山新勝寺(真言宗)の断食参籠修行に3泊4日の予定で急遽申し込んで参加することにしたのだ(参考:大本山成田山の公式サイト「断食修行」)。何事であれ自分が実体験してみなければ、説得力をもって人に語ることはできないのではなかろうか。
なぜ成田山かというと、「断食」でネット検索したら、いくつか候補がでてきたなかにあったからだ。成田山には初詣で何度も行っているし、江戸時代以来、歌舞伎の歴代の市川團十郎や二宮尊徳などが断食修行してきたこと、しかも、断食中は水しか飲むことが許されないというのも、本格的な印象を受けた。