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映画館に設けられた作品の宣伝コーナー=東京・新宿で(筆者撮影、以下同)

(文:国末憲人)

 600万人ものユダヤ人の命を奪ったホロコーストの現場と言うと、多くの人は「アウシュヴィッツ強制収容所」を思い浮かべる。現ポーランド南部クラクフ近郊にナチス・ドイツが設けたこの施設は、ナチスの残虐行為を象徴するモニュメントとして位置づけられている。100万人以上という最大の犠牲者を出したこと、一部の建造物が破壊されずに残されたこと、絶滅施設と同時に強制労働施設を伴っていたため10万人以上の収容者が生き延びて実態を伝えたこと、などからである。

 ただ、アウシュヴィッツで虐殺が本格化したのは1943年から44年にかけてで、41年に始まったホロコーストの歴史の中では後半に過ぎない。ホロコーストの犠牲者は約半分が銃殺で、約半分が収容所での虐殺だが、前半の収容所犠牲者は、現ポーランドの辺境にナチスが設けた三大絶滅収容所に集中する。ベウジェツ、ソビブル(映画では「ソビボル」と表記)、トレブリンカの3カ所である。

 その1つ、ソビブル絶滅収容所を舞台にしたロシア映画『ヒトラーと戦った22日間』(原題『ソビブル』)が9月、日本各地で公開された。三大絶滅収容所の死亡率は99.9%に及ぶが、100%にならなかったのは、ソビブルとトレブリンカで暴動が起き、遺体処理や兵舎維持などに携わっていたそれぞれ数十人のユダヤ人労働者が脱走に成功したからである。映画はこのうち、1943年10月14日に起きたソビブルでの暴動を描く(ヒトラーと戦う場面はなく、邦題は完全なミスリード)。この暴動の後、ソビブル絶滅収容所は閉鎖された。整地し、植林まで施し、悪事の痕跡を消し去ってナチスは撤退した。

 私は現地を一昨年に2度訪れたが、収容所の跡地には松林が広がるばかりで、アウシュヴィッツのような建物は残されていない。2014年に発掘調査が実施されるまで、ガス室の場所も判明していなかった。

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