それでも実は、「クレームにどこまでもとことん付き合い、解決する」という企業の姿勢には、一定の合理性が「これまでは」あった。それが他の企業との差別化につながり、顧客を獲得する機会となり、収益を上げる要因となったからだ。特にバブルが崩壊して以降、「失われた20年(30年?)」と呼ばれる経済低迷の環境下では、クレームにどこまでも付き合うことで客離れを防ぎ、売り上げを維持することが至上命題でもあった。

 今世紀に入って、特にクレーム問題がクローズアップされるようになった背景には、「どんな理不尽なクレームであっても対応するくらいの気概がなければ、昨年度並みの売り上げを確保できない」という切実な経済環境があったからだ、という面が否めない。

 だが、ここに来てとうとう、限界が近づいているように思われる。少子高齢化で労働者不足が深刻になっているのに、今までどおりクレームにどこまでも付き合うというやり方は、続けられなくなっている。

 それが顕著に現れたのが、運送業だ。ネット企業が「即日配送」を打ち出すなど、運送業への要望がどんどん高まる中で、労働力不足がついに限界を迎え、無理のない労働環境を回復すべく、配送時間の見直しなどが進んだのは記憶に新しい。顧客の要望にどこまでもつきあう、という日本企業のこれまでの取り組み方とは、明らかに風向きが変わっている。

 興味深いのは、消費者の変化だ。運送業で働く人たちがいかに大変な業務をこなしていて、理不尽なクレームにも我慢を重ねているかを知って、「ご苦労様です」「ありがとう」と声をかける人が増え、無茶な要求をする人が減ったという。

 これは重要な示唆であるように思う。生活が楽にならないのに業務量が増えるばかりという、働き方を改革するのには、実は「働き方改革」ではなく「消費者改革」が大切なのではないか、ということだ。

消費者も、一方では労働者

 そこで提案。「お客様は神様です」ではなく、「消費者だって、どこかで働く労働者」であるという考え方を、もっと普及させてはどうか、ということだ。

 消費者が理不尽な要望をしてもかまわない、というコンセンサスを社会が持ってしまえば、それは労働者でもある自分の首を絞めてしまうことになる。実は、「お客様は神様です」というフレーズがはびこることで、「労働者は消費者の下僕です」ということになってしまったのだ。