こうした事態を避けようと、企業は過敏なくらいに「あらかじめ」対策を採ろうとする。その業務量の多さに働く人たちは悲鳴を上げ、「働けど働けど、我が暮らし楽にならず」という、つらさにつながっているように思う。

 冒頭で述べた学校の先生たちも、クレームに関して非常に過敏になっている。私が指導することになった子どものことについて、学校に相談しに行ったことがあるが、「親でもない人間が何しに学校まで来たのか」と言わんばかりに萎縮していて、その緊張をほぐすのに30分ほどかかった。

「この子は私が指導することになったから、きっと変わります、今まで問題児だったかもしれないけれど、どうか辛抱強くその変化を見守ってやってほしい」とお願いしに行っただけだったのだが、どんなクレームをぶつけられるのかと、恐怖していたようだ。私がクレームを言いに来たわけではないということが分かると、ホッとしたように教頭先生が、担任を残して退室したのを、今でも思い出す。

クレーマーを取り巻く時代背景の変化

「クレーム対応」は、なるべく問題を発生させないようにと、企業や学校、公務員を過敏にさせ、膨大な業務量につながる要因の1つになっている。それにしても、どうしてこうもクレームの多い国になってしまったのだろう?

 1つの原因が、よく指摘されるように「お客様は神様です」というフレーズだ。歌手の三波春夫氏がステージで述べたこのフレーズは、よほどキャッチーだったのだろう。発言した本人の意図を超えて、「そうだ、俺は客なんだから、神様同然に大切にされてしかるべきなんだ」という消費者の発生を許すきっかけとなった。

 もう1つの原因は「訴えてやる!」という、法律に関するテレビ番組の影響もあるかもしれない。日本は法律や権利をタテにして訴えるということは、どちらかというと忌避してきた文化を持っていた。たとえば80年代に「アメリカでは、雨にぬれたネコを乾かそうとして電子レンジに入れたらネコが死んでしまったとして、裁判に訴えた人がいるらしい」という話が伝わったとき、「そんなの常識で考えれば分かるだろう?」と、批判的な意見ばかりだったことを思い出す。

 しかし、エンターテインメントとして「訴えてやる!」番組が放映されるようになってしばらくすると、クレーマーの問題が随所で話題となるようになった。大阪弁で言うところの「いちゃもん」としか思えないような無理難題をぶつける消費者も増えてきた。もはや、「電子レンジにネコ」というアメリカの事例を笑えない状況になっているようだ。