「もう液晶の会社ではない。ブランドの会社になる」
戴正呉(タイ・セイゴ)代表取締役会長兼社長は2018年6月20日、こう宣言した。
凋落の元凶となった「堺工場」で開催された、シャープ株主総会でのことだ。
私は今は大学に籍を置く研究者だが、もともとはシャープに33年間勤務し、太陽電池や液晶の研究開発に従事していた。そして当時から現在に至るまでシャープの株主の一人だ。
私は6月18日にJBpressに寄稿した『シャープと東芝、何が運命を分けたのか』の中で、シャープと鴻海の「共創」が効果を発揮している現状をレポートした。技術者と経営学者の両方の視点から「共創」関係を深掘りし、さらに、シャープの今後の戦略を再確認するため、株主総会に参加した。
経営を圧迫した堺工場への過大投資
総会に参加してまず実感したのは、あくなき「経費削減」と徹底した「合理化精神」の鴻海流の経営方針だった。
株主総会の会場となった本社は、「堺工場」の一角にある。
かつて大阪市阿倍野区に構えていた本社ビルは、経営危機に陥った際にニトリに売却。その後も賃貸を受ける形で使用していたが、鴻海からの出資を受けた直後に、本社機能を堺工場に移転した。
以前のシャープの株主総会は、旧大阪厚生年金会館、現在のオリックス劇場で開かれていた。それを本社で行うというのも、戴社長の「経費削減」の経営方針が徹底されていることの現れだろう。
2009年から稼働を始めた堺工場は、第10世代と呼ばれる当時の最先端かつ世界最大規模の液晶工場と太陽電池工場を擁している。
工場建設のタイミングは間違っていなかったが、投資金額が過剰すぎた。ガラス基板のコーニング社や旭硝子、運営会社SDP(シャープディスプレイプロダクト)等の19社を1カ所に集め、合計で約1兆円の巨大プロジェクトだった。これがシャープの経営を圧迫する要因となったのだが、そこで新生・シャープの株主総会が開かれるというのは何とも皮肉な話である。