大学合格を祝いすぎることなかれ

 日本では、学習キャリアの大きな一里塚として大学入試が位置づけられ、そこでの成果を過剰に評価する傾向があると思います。

 「一流大学に受かった!」と喜ぶのは結構なのですが、そこで学習が止まってしまい、その先はサークル活動や社会勉強と称するアルバイト、2年次後半ともなれば、はや就職活動と浮足立ち始めたりして、本当に本腰を入れて大学課程を勉強するということが、かなりおざなりになりやすい。

 好き嫌いを別として、これは認めておかねばならない、現状の問題と思います。

 大学生は、合格以降、必ずしも十分に勉強しない傾向がある。加えて、日本国の教育の現状に限って言うならば、例えば高校「理科」は実質「中学までの数学・算数」しか、ロジックの基盤に置くことができない。

 この制約は、非常に大きな問題を作り出している可能性があると思われ、今回の紙幅では到底扱い切れませんが、繰り返し立ち戻って考えたいと思っています。

 問題を指摘するだけでなく、対案を記しておかなければ、建設的ではないと思いますので、いくつかこれを免れる方法を記しておきたいと思います。

 例えば教養教育と大学学内での制度設計で、こうした問題は随分緩和されるように思います。

 日本の多くの大学では教養学部・教養課程が廃止されて、入学当初から専門が決まっている場合が圧倒的に多くなっています。

 しかし、東京大学など一部では、大学1、2年次の成績によって、進める学部学科が限られるため、大学合格以降も引き続き競争試験の状態が続き、嫌でも勉強しなければならない環境に置かれます。

 それ自体はあまりいい話ではありませんが、結果的に大学1、2年で教える数学も、各種の理科も、ここできちんと間に合うようになっている。