京都大学の山極寿一総長が「国立大学の法人化は失敗だった」(参照=http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/40-2.php)と直言し、反響を呼んでいます。
概して、国立大学法人関係者からは「よくぞ言った」的な反応が多く、国立大学協会会長職にある山極さんの、ダイレクトな発言に対して、正面からの「反論」はあまり見かけないように思います。
これに対して、東京大学の五神眞総長は「国立大学の法人化は必然だった」と応じています(参照=http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/41-1.php)。
メディア上での観測は、どうにも外部からなので深く踏み込むことができない様子、議論が浅く流れがちである様子で、両者の主張のどこがどう食い違っているか、といったことになかなか踏み込めていません。
私自身、東京大学の一スタッフとしてこの「独立行政法人化」の準備段階からコミットし、今日に至っている経緯があり、思うところがありますので、基礎的なところから正確な議論を考えてみたいと思います。
大本は、良い意味での国策にあります。
すなわち、島国で国土に限界をもち、人口も中途半端でインドや中国の規模を持たず、資源はもとより食糧すら自給できない日本にとって「人」こそが石垣、城であり、創造的な人材が知の力をもって世界に伍していく以外、日本に建設的な未来はないという大前提から確認してみましょう。
国家百年の計としての国立大学改革
上に記した内容、つまり日本は人材と、それが創造的に駆使する知の力によってのみ、立つことができる国であるという考え方は、私が知る限り過去3回、近代国家日本の基本として位置づけられ直したように思います。
最初は明治維新、特に1873年(明治6年)「明六社」の設立前後、旧来の儒学や漢学、国学を排し、西欧近代由来の学術に基礎づけられた
「殖産興業」「富国強兵」
の方向性が打ち出されたことで、近代日本が傾きかけた内乱であった「西南戦争」と同じ年、日本に初めて近代的な「大学」が1つだけできました。それが東京大学にほかなりません。
どうも世の中は、浅くレッテルを貼って思考停止する傾向が著しいようです。