物語の調べに一貫して流れているのは、誕生と消失の狭間で波のように繰り返し押し寄せる喪失感である。失われたものを追い求める先に救いはあるのか。自らに課した執着を解き放つには、100人いれば100通りの答えがある。

 異端から解放されるべき仲間の火星人の中でも孤立していくセイの、たどり着く答えとは。魅力ある主人公、リズムある会話、そしてなによりもスバ抜けた物語性で、ひとたびページを繰り出したら止めることはできなくなるはずだ。そして読了後、人生をリセットしたあとに求めるものは何か、そんなことに思いを馳せるきっかけになる1冊となるだろう。

山岸涼子 メタモルフォシス伝

 人生をリセットするにふさわしい舞台は壮大なSFの中だけではない。私たち大人誰もが経験した学生時代、大人の一歩手前で傷つくことに貪欲だったあの時代を描いた少女マンガの名作は数多くある。その中から、大きな事件が起きるわけでもなく淡々とした日常を描く新旧2本の作品を紹介したい。

 まずは、全国有数の進学校を舞台にした山岸涼子が描く『メタモルフォシス伝』だ。山岸涼子は、聖徳太子が超能力者の見目麗しい少年であったという意表をつく設定の『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)でも知られているが、彼女もまた24年組の一人である。

 時は春、ゆるやかな閉塞感に満ちた教室に、一陣の風にのせた桜の花びらともに突然の転校生、“蘇我要”が現れる。群像劇形式の本作では、無味乾燥な受験競争の中、それぞれの悩みを抱える学生たちの織り成す日常生活を中心に話が展開していく。

 40年以上前の作品だが、決められたレールに乗せられた若者たちの抱える命題は今も変わらない。全員が同じ方向に向かって走らされる未来の見えない不安の中で、悩み、疑心暗鬼になり、ただ時間が過ぎていく焦りと無力さの中で葛藤する。いや、これは若者だけの話ではないのではないか?

 謎の転校生“蘇我君”が、それぞれの生徒の心のひだに入り込み、ほんの少しの手助けで彼らのあるべき姿に導いていく本作。大筋のシナリオは学園ものの王道パターンであるが、無駄のない軽やかな線画で描かれる教室風景は、読み進めるうちに、昔確かに経験したノートや消しゴムの手触りを思い出すだろう。

 登場人物の一人、出来過ぎエリートの新田忍という青年がとてもいい。同居する祖父は大臣経験者、小説家の父は勘当され不在、母親と呼べる人は3人、という複雑で抑圧された家庭環境の下、生来の繊細で芸術肌の気質と期待に応えようとする完璧主義がせめぎあい、やがて一つに融合されていく。