自己修復するガラスを開発、東大チームが実演

自己修復するガラスを開発、東大チームが実演。写真は東京大学の研究室で、修復されたガラスを眺める柳沢佑学術支援専門職員(2017年12月25日撮影、本文とは関係がありません)。(c)AFP PHOTO / Toru YAMANAKA 〔AFPBB News

 普段は、世間の雑誌の類にひどい報道があっても、まずもってスルーすることにしているのですが、「これはちょっと、それはいくら何でも・・・」と思いました。

 どこかの議員がどこかの役所の幹部に投げるおかしな質問みたいなものに天下の一流雑誌が陥ってしまってはなんとももったいない。ということで、以下の原稿を準備しました。

 これではいけない、と目にとまったのは、週刊現代の「究極のエリート集団・東大教授の『凄まじい階級社会』」という記事(参照=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54825)です。

 この記事は、私自身も在職する大学に関する内容として、どうにもいただけない、困った記事だと思いました。

 ちなみに、版元である講談社は、私の最初の単著を出してくれた版元で、別段つまらないケンカや根拠のない話をふっかけているつもりはありません。

 また「週刊現代」の記事にも長年協力してきた経緯があり、良心的な記者の知り合いも在籍しています。雑誌のためにもプラスになるように、という意図も含め、本稿を用意しました。

 以下につまびらかに記し、末尾に「まとめ」までつけておきましたので、そこから外れる誤読その他の類は、一切ご勘弁いただきます。

 大学に関するデリケートな内容は、本来学術雑誌と同様、是是非非を個別の案件ごとに指摘するのが、アカデミアの最低ルールでしょう。

 是非をつまびらかにする、アカデミアの大前提にのっとって議論しなければ、無意味な風聞でおかしなことになりかねません。

 以下、具体的に記します。

 当該記事で最もいけないと思うのは、

 「東大教授と言えば、世間では『特別な存在』として尊敬の念を集め、好きな研究に没頭できる人々と思われている。しかし実は、偏差値エリートの頂点にたどり着いた後にも、そこには格差や階級が存在し、嫉妬や蔑みといった上下意識が渦巻いている」

 「もちろん、そのポストにたどり着くまでも茨の道だ。優秀な東大生が学問に励めば自動的に教授になれるわけではない。大学入学前の出自、『出身高校』が大きく関わってくるのだ」

 という部分です。