この連載ではあまり強調しないのですが、私は(そこそこ不信心な)クリスチャンで、キリスト教というもの、あるいはそれを含む「啓典三宗教」と、微妙にねじれた関係を長年持っています。
不信心と記したのにはいくつかの理由があります。
例えば「『聖書』というものをどのように読むか?」というスタンスです。元「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏と12年ほどまえに意気投合した1つは、
「聖書には古代人の価値観が記されている」
というポイントで、例えば古代人にとって「夢」は現実とほぼ等価の、「もう1つの現実」としての意味を持ちました。
旧約聖書とフロイトの距離
例えば「ソロモン王の夢」という話があります。旧約聖書「列王記」3-5に記された逸話で、ダビデの後を継いだイスラエルの王ソロモンの夢枕に神が立って
「おまえの望むものを何でも与えよう」
と問いかけた。そこでソロモンは、富とか自分の長寿とか敵の命を奪う、とかではなく
「正しい訴えを聞き分けるための判断力を与えてください」
と願い、神はそれを聞き入れて、事実そのようになった・・・。