先日「前編」として ユダヤ・キリスト教徒から優秀な人材が輩出する背景と思われる一部について触れました。
そこで触れなかった、より本質的な部分を今回は記したいと思います。どうしていま、こんな話を書こうと思ったかという動機についても記したいと思います。
それは、若い人にとっての「生きがい」が見出しにくい日本社会になっているように思うからです。
若い人たちの人生のヒントになれば何よりと思いながら、私なりに考える「ユダヤ・キリスト教」の本質をお伝えしましょう。
すなわち「ユダヤ教」「キリスト教」における信仰とは何なのか?
アナタハ、カミヲ-、信ジマスカ~?
よく、テレビなどで戯画化されて描かれる場合があるように思うのですが、仮に道端で「あなたは神を信じますか?」と外人宣教師に問われても、
「神様ねぇ・・・」
と困ってしまう日本人が大半なのではないでしょうか。あるいは、積極的にそんなものは信じないという無神論的な傾向も、決して低くはない気がします。
そのくせ、困ったときは神頼み、葬式があれば仏教で、クリスマスにはプレゼント。あれこれ折衷しながら何となく雑信心無信仰で生きている・・・。
それがよく見えるように思うのは、現代世界の「自殺」の傾向です。