あくまでも土俵の充実を看板にするのであれば、場所数を含め、取り組み数を減らすべきでしょう。それでなくても、公益財団法人として、税制面の優遇を受けている日本相撲協会。目先の利益より、末長いスパンでの土俵の充実が求められます。
先場所優勝した栃ノ心は大関への足固めができるのか。5場所連続休場してしまった稀勢の里はどうなってしまうのか。そして何より、暴行事件の被害者の貴ノ岩は果たして・・・。まずは見どころが盛りだくさんの春場所のゆくえを見守りましょう。そして今後、本書の第二弾、第三弾が発刊されないように願うばかりです。
プロレス人気復活までの平坦ではない道のり
その春場所の前売り券は発売当日に完売になったとのこと。相つぐ不祥事にも関わらず、大相撲人気は健在のようです。そして現在、同じように人気を博しているのが、新日本プロレスを中心としたプロレスです。しかし、人気復活までの道のりは決して平坦ではありませんでした。
「100年に1人の逸材」として、長きにわたって新日本プロレスの顔である棚橋。現在、世界最高峰のプロレス団体WWEで中心選手として活躍する中邑。『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(柳澤健著、文藝春秋)。はタイトルの通りに、現在のプロレスブームのけん引役となった2人の姿を追いかけています。
引退してもなお、オーナーとして現場に介入するアントニオ猪木。その公私混同を含むやり方に嫌気がさし、次々流出していく中心選手たち。2000年初頭の新日本プロレスは、総合格闘技の人気に押され、また会社も身売りされ、と迷走を始めます。そのころ棚橋と中邑は、次代のエースとして台頭してきますが・・・。
他の格闘技の最大の違いとして、プロレスは観客とも戦わなければいけないことが挙げられます。ただ対戦相手を叩きのめすだけではなく、試合内容を通じて観客に納得してもらい、味方につけることができなければ、優れたレスラーとは言えません。しかし、当時の新日本プロレスの会場に集まって来るのは、アントニオ猪木というカリスマの幻影を求める手強い観客ばかり。その幻影を吹き払い、自分たちのスタイルで団体を引っ張って行こうとする棚橋と中邑ですが、観客の冷たい視線が容赦なく突き刺さります。
この逆風をいかに追い風に変えたのか。そこは『1984年のUWF』など、プロレスラーの内面性を描かせたら右に出るものがいない著者の本領発揮。単なる業界内の暴露本に終わらせずに、濃密な人間ドラマに仕上げることで、答えに深みを持たせています。
“俺たちはプロレスを通して、生き方を競ってきたような気がします”
棚橋が呟いたこの一言が、全てを表している本書。プロレスラーとしてだけではなく、男として、人間としての、それぞれの生きざまをぜひ胸に刻んでいただきたい一冊です。