平昌冬季オリンピックでは熾烈な試合を終えた後の友情交換風景が話題になっている。厳しい練習に堪えぬいた選手だからこそ国を超越して理解しあえるのであろう。
かつて相撲に熱中し、食い入るように聞き耳を立てた(ラジオの時代)のは栃錦と若乃花(初代)時代であった。学生時代に巡業中の栃若を一目見たこともあり、ガチンコ勝負の凄さに感じ入った。
その後も大鵬、千代の富士、そして貴乃花・若乃花兄弟の時代と続き、関心が薄れることはなかった。
自衛隊への感謝と応援、そして「自分の国は自分で守る」防衛思想の普及を目的とする民間団体「全国防衛協会連合会」で勤務(平成18~22年)していた時、毎年の初場所中盤に陸海空自衛隊の幹部学校などで学んでいる外国軍人留学生とその家族を日本文化紹介の一環として大相撲に招待していたので、案内も兼ねて彼らとともに国技館内で観戦するチャンスに恵まれた。
当時は朝青龍の1人横綱に大関の白鵬が挑戦し、横綱に昇進(平成19年7月場所)した時期から、朝青龍が引退(平成22年)する期間であった。朝青龍が型破りで暴れん坊の横綱であっただけに、白鵬は好対照で礼儀正しい関取という印象が強かった。
相撲の神様・双葉山
その白鵬が横綱となって、不祥事続きの角界を支えてきたことは万人が認めるところである。平成22年九州場所では63連勝を飾り、史上2番目の輝かしい記録も残した。
そのとき白鵬は、「不世出の横綱」「相撲の神様」「昭和の角聖」などと称えられた双葉山を意識した言葉を吐露した。連勝街道を稀勢の里に阻止された後のインタビューで、「木鶏ならずですね」と語ったのである。
手元に黄ばんだ「朝日新聞」(1997年1月10日付朝刊)がある。「20世紀の古典」欄で、当時の相撲評論家小島貞二氏が第35代横綱「双葉山」を取り上げている。