河野太郎外務大臣が効率的な外交(報道では「柔軟な移動と日程調整可能」)を行うため、閣僚専用機(主として外相利用か)の導入の是非を外務省内に指示したと言われる。
諸経費などを含む管理運営面については、既に紙面などでも議論が交わされている。
筆者は管理運営面の前に外務省では解決しなければならない問題があるとみている。それは、外相が世界をいくら駆け巡っても、外務本省の外交戦略の欠如や不適材不適所の大使たちでは成果に全然繋がらないからである。
外務省では21世紀に入って機密費流用事件(2001年1月)、9.11(同9月)事案に係る邦人保護問題、鈴木宗男議員と外務省の癒着(2002年1月)、瀋陽における主権放擲事件(同年5月8日)などが立て続けにあり、混乱に陥った。
問われたのは利己的体質、邦人を救わない総領事館、そして媚中外交などであった。いずれも積年にわたる国益無視の外務省体質がもたらす結果であった。
そこに、通産官僚から民間企業に天下っていた川口順子氏が外相(2002年2月)として登場し、「適材適所実現のため入省年次にとらわれない幹部人事」「主要国の大使や本省幹部に民間などの各界の人材起用」などの「骨太の改革」を打ち出した。
しかし、直後の外務事務次官人事などは従来型の年功序列の踏襲、官僚秩序温存指向で国民の失望を買った。
識者の間では長年、「害」務省と酷評されながらも、国民生活とはかけ離れたところに外務省は存在し得た。
しかし世紀初めの数々の失態から外務省といえども孤高の存在ではあり得なくなり、外務省OBたちが競うように「外務省の腐った体質」を暴露するようになる。
改革が打ち出されて10年後の2011年時点でも、「現在、外務官僚が国民の期待に応える外交をしているとは到底思えない」と外務省OBは語っている。
さらに数年が過ぎた今日も、慰安婦像が韓国ばかりかサンフランシスコやマニラなどでも建立される状況に見られるように、「外務省の失敗」は続いている。