安倍晋三政権が憲法改正に本気で乗り出した。
日本人に違和感なく受け入れられ、70年以上も平和が続いたことから、憲法が「平和」をもたらしたと錯覚した国民も多いが、米国製「日本国憲法」は日本人の魂を骨抜きにし、アイデンティティを喪失させた代物である。
元軍人で連隊旗手を務め、戦後は評論家・作家に転身した村上兵衛氏は、「(戦後の)日本人は何とも上手に平和に占領された」と上手い表現をした。
日本国憲法には米国さえ実現していない多くの理想、中でも「戦力の不保持」や「交戦権の否認」までもが盛り込まれた。そうしたことから、「アメリカニズムの純粋実験場にされてきた日本列島」と述べたのは西部邁氏である。
こうした平和がどういう結果をもたらすかは自明である。
いま北朝鮮の核・ミサイルを前にして、また、何年にもわたって尖閣諸島で恒常的に領海侵犯を繰り返す中国に対して、独立国家として有効な手段をとり得ないで右往左往している日本である。
国家としてこれでいいのか、しっかり考えようではないか。そうしないと国際情勢の激変(この中には米国の日本離れなど極端な場合もある)に対応できない日本になってしまう、と国民に訴えかけているのが安倍晋三首相である。
平和主義は尊いか
2017年11月3日付「東京新聞」は社説に「平和主義は壊せない」を掲げた。平和主義を現憲法の「大価値観」としており、憲法9条の改正論議で揺さぶられようとする状況に歯止めをかけようというのである。
しかし、論旨は誤解に基づいている。軍隊は国家の独立と国民の基本的人権を守る手段と考えられてきたと伝統的な考え方を示す。
その後で、明治憲法下で行われた戦争で、国民や他の諸民族に損害と苦痛を与えたこと、中でも原爆の経験は、戦争が国民を皆殺しとするものに変質したことを示したと述べる。
こうして、平和なしには基本的人権の保障もあり得ないし、「平和」の文字が繰り返し使用されている前文をもつ憲法は「平和主義」の主張だという。「自衛隊明記の先には戦争が待ってはいないか、それを強く懸念する」とも書く。
しかし、基本的人権が保障されるのも「国家の独立」があって初めて可能であり、平和主義だけでは独立が保証されない現実を語ろうとしない。