田堵(たと)と呼ばれる敏腕経営者がたくさんの人を雇い入れ、耕作に当たってもらうと同時に、都の実力者にロビー活動をするようになった。藤原摂関家や大きな寺や神社など、当時権力者であった人たちに形式上「寄進」することで有利な条件を引き出した。その具体例が「不輸不入の権」だ。税金を納めなくてよい権利(不輸)、役人の立ち入り検査を断る権利(不入)を獲得し、より利益を最大化すると同時に、権力者への付け届けを怠らないように経営者は気を遣った。

 現代の農業も形を変えて、似た現象が起き始めている。生産法人として大きくなるだけでは販路を確保できない。そこで大手スーパーなどの小売業や流通業、あるいは農業と必ずしも関係がない大企業に営業を仕掛けて、関係を深めようとしている生産法人が増えている。奈良時代や平安時代の実力者と言えば貴族や僧侶だったわけだが、現代の実力者は大企業というわけだ。そう考えると、藤原摂関家は現代でいう「巨大企業」に相当すると言える。

 もし奈良時代や平安時代の「荘園」とのアナロジーが成立するなら、今後、日本の生産法人は「系列化」が進むと予測される。すでに大手流通小売であるスーパーやコンビニチェーンが大規模生産法人と提携し、いくつかのグループに分類できるようになってきた。今後、まだ「系列」に所属していない生産法人も契約などを進めることで系列化していくことだろう。

 系列化は、そのまま「寄進地系荘園の発達」とそっくりのものになると思われる。大手流通小売の大企業は、その経済力を活かして政治家にロビー活動を行い、自分たちに有利な法律の制定などを働きかけるようになるだろう。まさに奈良時代や平安時代に起きたことが再現されるかもしれない。

「荘園」化で起こる変化

 では、さらに将来の日本の農業はどのように変遷していくだろうか。それには「荘園」がどのようになっていったか、その推移を見て見るとよさそうだ。

 藤原摂関家など有力貴族などに集約した荘園は、次第に「付け届け」を増やすように要求がきつくなっていった。荘園の実質上の経営者が別の実力者に乗り換えようとしても、すでに「系列化」が進みすぎていて、簡単には移れなくなっており、しかもどこの系列でも荘園に対して厳しい要求をするようになっていったので、経営が苦しくなっていった。

 系列化が進む過程では、さまざまな権利を獲得することができたのでメリットが大きかった。しかし、系列化が完了してしまうと、系列に所属するがゆえのデメリットが大きくなってきたのだ。

 これは、現代版「荘園」でも同じことが起きてくる可能性がある。現時点では、大手流通小売と提携する方が安定した価格で生産物を購入してもらえるメリットがあり、利益が大きい。これに対して、市場を通すと頑張って品質を向上させたものもすべて「ホウレンソウ」や「レタス」でしかなくなり、差別化ができないので、市場よりも系列に属する方が有利なのが現状だ。