「マットは謙虚な男で、飛行機はエコノミーだし、ランチは決して社費で食べない。顧客と一緒にやった10年前のゴルフのスコアを覚えとるし、コンピュータのような頭脳の持ち主だった」と吉田氏 。しかし、そんな優秀なマット氏は東日本大震災の起こった2011年6月に内臓が破裂して帰らぬ人に。

 吉田氏はポートランドに一刻も早く帰りたかったが、東北の人々への義援金を集めるため、帝国ホテルで2000人を前に“日本を元気にする話”と題して、チャリティ講演会を行っていたのだ。「講演が終わった時は、いつも皆と握手するけど、その時はマットのことで倒れ込むように控え室で横になっちゃったんだ。彼は本当に立派な人間でね。ボストンからがんのトライアルの薬(治験薬)を手に入れたりして、12年間もがんと闘っていたんだ」と無念がる。

 吉田氏は夫人のリンダ氏と非営利団体のソウルフル・ギビング財団(Soulful Giving Foundation)を設立し、コンサートのチケットを販売して、売上げをオレゴン州ポートランドのプロビデンス・キャンサー・リサーチセンターやランダル子供病院に寄付している。2016年は約2700万円を寄付した。

 同財団の理事を務めるリンダさんはオレンゴン州の新聞に「全米に組織を持つ大規模ながんの研究機関に寄付するより、私たちに身近な地元の財団と協力し、コミュニティを結衆して、巻き込む方がより大きな貢献ができるんです」と応えている。

 吉田氏のモットーは、「Giving Back!!」。今まで、そしてこれから、がんとどう取り組んでいくのか。

 オンコロは、そんな吉田会長に独占取材を行った。

お金は追いかけると逃げていく。でも、危機になるといつでも助けてくれた。

――吉田会長はがん治療に多額の寄付をなさり、ご家族で取り組まれていらっしゃいますが、お心構えなどついてお話下されば、幸いです。