これまでの経済システムは、「労働」を分配の条件としてきた。しかし人工知能が労働を消してしまったら、分配不全による食糧危機が発生する恐れがある。

 糖尿病で足を切断せざるを得なくなる場合と似ている。十分な栄養を口から採っても、病気で足の先に血がめぐらないと切断せざるを得なくなることがある。逆に血流がよいのなら、食事の量が少々不足気味でも長期間健康を保つことはできる。しかし血流が悪くなれば手足が壊死し、内臓が機能不全になり、ついには命を落としかねない。社会も分配が滞ると、社会の一部が崩落するだけでなく、社会全体が機能不全に陥りかねない。

分配をいかにスムーズに進めるかということが、社会を健全に運営する基礎となるのだろう。

 むろん、共産主義の失敗を忘れてはならない。ソ連などの共産国家は公平な分配だけを心掛けるあまり、頑張って働こうというインセンティブが失われ、列車の中でイモが腐り、都会では配給が来ずに飢える、ということが起きた。「公平に分配しよう」とするだけでは分配不全が起きる、という皮肉な教訓を忘れてはいけない。

 資本主義社会は「労働」を分配の対価として位置づけることで成功してきた。だが、近年は一部の投資家や起業家にだけお金が集中し、分配不全が起き始めている。このままでは、治療を施さない重い糖尿病患者と同じになってしまうだろう。

新しい「分配」のデザイン

 新しい時代の「分配」は、「労働」以外のどんな根拠で行えば、機能不全に陥らずに済むのだろう? ここからは「ソーシャルデザイン」の仕事になる。そしておそらく、ソーシャルデザインには「生きがい」という視点が重要になるだろう。

 自動化社会では労働が大幅になくなってしまうから、誰かの役に立つという「貢献感」を得にくい。誰かの役に立っている、だから私は生きていて構わないんだ、私の居場所はここなんだ、という「居場所感」も持ちにくい。それらがないと、たとえベーシックインカムで生きていくことができるとしても、なんだか生きる甲斐がない。人間というのは「パンのみに生くるにあらず」という、実に面倒くさい生き物なのだ。

貢献感、居場所感を確保しつつ、生きるのに十分な食料を分配し、行き渡らせる。これらの課題にどう辻褄を合わせて社会を設計するのか。人間心理を知悉した、ソーシャルデザインを本気で考えなければならない時代に来ているのかもしれない。