野中 よく分かります。元々、日本の経営の根底には全体と個が一致する思想があります。分かりやすく言えば「全員が社長であれ」ということ。一人ひとりが考えて行動する自律分散の組織です。こうした自律分散型のリーダーシップによって動く組織が、長らく日本のものづくりを強く支えてきたのです。

イノベ―ションは「共同化」から始まる

藤井 一人ひとりが事業の意義を意識して、収支感覚、経営感覚を持つようになるという点で、アジャイル開発は稲盛さん(注:稲盛和夫。京セラの創業者。KDDIの母体となったDDIを1984年に創業)の経営とも通じるものがあると思います。

野中 いろいろな点で通じていますね。私は今、京セラの稲盛経営を普遍化しようというプロジェクトに参加しているんです。京セラには「コンパ経営」という組織力を高める経営手法がありますね。あるテーマを掲げて、車座になって鍋をつついて酒を酌み交わし、徹底的に対話をする。コンパ経営とアジャイル開発には大きな共通点があります。それはいずれも「相互主観性」を絶えず生み出していく場だということです。

藤井 相互主観性とは何でしょうか。

野中 イノベーションは、まず「思い」がなければ始まりません。「未来の世界をこうしたい、そのために私たちはこうするのだ」という思いです。けれども、その思いは一人称の「わたし」だけの主観です。一個人の思いを三人称の主観、つまり組織的な主観にまでもっていかないとイノベーションは実現しません。

 この一人称から三人称への変換に不可欠なのが二人称の相互主観ということになります。相互主観とは、「私」ではなく「われわれ」の主観です。

「われわれ」の主観を生み出すためには、あるテーマについてフェース・トゥ・フェースで徹底的に対話をすることです。最初はお互いの認識や思いが違うんだけれど、掘って掘って掘り下げていくと地下水脈に行き着いて、ああ、俺が本当にやりたいことはこういうことか じゃあ、お前と思いがつながっているんじゃないかというように、暗黙知レベルでの自己認識と相互理解が起こります。こうした生まれた二人称の相互主観が組織に分散して、組織を動かして三人称化するのです。

平鍋 イノベーションの基盤は人と人の関係なのですね。

野中 イノベ―ションはまず「共同化」から始まります。PDCAはプランの「P」から始まりますよね。一方、我々が「SECIモデル」(セキモデル)と名付けた知識創造活動(暗黙知と形式知の形式を相互に繰り返して新しい知を創造する活動)は、共同化(Socialization)の「S」から始まります。