「日本人のタコ好きは特殊・・・」。この見方には賛否両論あるようだ。海外では「悪魔の魚」と忌み嫌われる一方、日本には愛でる文化まであるのだから、その通り。いや、イタリアやスペインをはじめ、タコを食べる民族は少なくないからそうは言えない、といった具合に。
ただ、言えることは、特殊かどうかはとにかく「日本人はタコが好き」ということ。タコ消費量は世界1位で、そのシェアは世界の約6割を占めるとされる。
では、どうして日本人は無類のタコ好きになったのだろうか。前篇で日本人とタコの関わり合いの歴史を追いながら、その理由を探っていきたい。そして、後篇では、将来の日本人とタコの関係性を決するといっても過言ではない、「タコの完全養殖」実現を目指すプロジェクトを紹介したい。
かつては乾物や発酵食として食べていた
日本人とタコの縁は、2000年ほど前までさかのぼれる。鹿児島県指宿市、兵庫県明石市、大阪府堺市などの弥生時代の遺跡から、タコを捕まえるための「蛸壺」と思しき器がまとまって出土されているのだ。
不思議なことに、それ以前の縄文遺跡からは蛸壺はまったく出土されていない。これには、弥生時代になって蛸壺を使った漁法をする人たちが各地に移り住んだからとの説がある。だが、そもそもいつどこで誰が蛸壺を作り始めたのか、謎は多い。
古文書に「タコ」が登場するのは、713(和銅6)年の『出雲国風土記』において。出雲郡の杵築御埼(きづきのみさき)にいたタコを天羽々鷲(あめのははわし)がさらい、たどりついた島が「タコ島」と呼ばれるようになったという話だ。「タコ」には「虫へんに居」と「虫へんに者」の字が当てられている。この島は松江市の中海にある大根島のこと。「たこ」が訛化して「だいこん」になったとも言われる。