募る不信感
それは突然始まった。2013年1月末日、ミャンマー政府はSEZ開発構想の全対象地域(2400ヘクタール)内の住民に対して14日以内に立ち退くように通告。従わなければ30日間収監すると記されていた。
1990年代にこの地区の土地収用が行われている、というのが政府側の主張だったが、その後20年以上、開発が進まなかったため、そのまま住み続けた農民や、新たに流入した住民らが、移転地や補償が一切ないことに反発。
「長年ここに住み、農業を営んできた自分たちの権利を認め、適切な補償をしてほしい」と地元NGOのパウンクーに駆け込んだことから、事態が明るみになった。
この時期、日本政府はミャンマー政府に対し、再三、国際基準にのっとり手続きを踏むよう申し入れ、結果的にはこの時の強制移転や逮捕・監禁という事態は回避された。
その後は、ヤンゴン地域政府がティラワSEZ管理委員会の支援を受けながら、「ゾーンA」と呼ばれる先行開発区域(400ヘクタール)内の81世帯と協議を重ね、補償に相当する支援金や移転先地を提示するなど、国際規準に沿った対応を実施。
これを受けて、2013年11月より移転が開始され、2014年4月にはJICAが海外投融資による出資を決定した。
これに対し、冒頭のNGO担当者は、「移転地や補償金が提供されたとはいえ、これまでとはまったく異なる生活環境を強いられた結果、生計手段を失い困窮化した住民が多くいる」とした上で、「JICAの環境社会配慮ガイドラインに反している」と主張。
JICA理事長宛てに意見書を提出するなど、改善を働き掛けたものの、「実質的な回答は何も得られない」まま時間だけが過ぎていった。
一方、当時、JICA民間連携事業部でティラワSEZ事業を担当していた竹内卓朗さん(現・南アジア部)も、日々、難しさを感じていた。
ミャンマー側の対応について、「当初のやり方はともかく、その後はわれわれの申し入れに応え、国際標準にのっとりきちんと対応してくれた」と評価していたが、住民グループからはレターを通じていろいろな問題提起が続いていた。
「移転対策は国の政策であるため、われわれは、グループやNGOの方々に対し、ミャンマー政府から直接話を聞いてほしいと何度も伝え、SEZ管理委員会にも対応を依頼していたが、残念ながらコンタクトはなされず、対話が生まれることはなかった」
それぞれが言い分を抱え、お互いにフラストレーションを募らせていく中、ついに2014年6月、影響を受ける住民ら3人からJICAに異議申し立てが提出された。関係者間の不信感は最高潮に達していた。