撮影隊がやって来た
駅の主役は列車なのだとつくづく思う。夜8時半過ぎのマンダレー駅。オレンジ色のぼんやりした蛍光灯に照らされ、物憂げでノスタルジーな雰囲気に包まれていた構内に、「プァーン」という甲高い汽笛とともに約15時間かけてヤンゴンから走ってきた列車が入線した瞬間、空気が確かに湧き返った。
駅舎から車両に駆け寄る出迎えの人々や、無事の到着に安堵の表情を浮かべ、大きな荷物を手に次々とホームに降り立つ乗客たちの流れに、(株)スタジオヒダカの川上隆ディレクターと松永香カメラマンが真剣な面持ちでレンズを向ける。
時間にすればものの数分だろうか。
興奮気味の人々の声やバタバタという足音、息を吐き切るかのように低く長く響く列車のエンジン音、そして最終列車の到着を告げるアナウンスなどが入り混じる構内は、突然、眠りから覚めたように活気付き、高揚感に満たされたが、乗客がすべて降りて回送される列車がホームを離れるのに従い、潮が引くようにざわめきも息をひそめ、静かな気だるさが再び辺りを支配していく。
翌朝5時にヤンゴンに向かう一番列車を待つ人々が数家族、大きな荷物とともにホームのあちこちに陣取り、列車が到着する前とほとんど姿勢を変えず座り込んだり毛布にくるまったりしているのを見ると、先ほどの喧騒は夢だったのかとさえ思えてくる。
それにしても、乾期に突入した11月下旬のマンダレーは、空気が乾燥し、南国とはいえ夜は少し肌寒い。コンクリートのホームの上で一夜を明かすのは容易ではないだろう。
と、先頭車両のあたりで三脚に据え付けたカメラのファインダーをのぞいていた松永カメラマンに川上ディレクターが近づき、二言三言話しかけた。うなずいた松永カメラマンが、三脚からカメラを外し、手に持ち替えてホームの人々の様子を撮影し始める。
10年来の仕事仲間だというだけあって、ごく簡潔な指示でもお互いの意図が十分に伝わっているようだ。
2人は翌朝も早くからマンダレー駅でスタンバイし、仏教遺跡で有名なバガン行きの列車が発車する様子を撮影。さらに、別の日にはヤンゴン中央駅から80km離れたバゴー駅まで3時間かけて走る各駅停車に乗り込んで乗客にインタビューしたり、道路代わりに踏切の上を歩いて家路につく人々の姿を望遠でそっと追ったりするなど、1週間にわたり精力的に鉄道と人々を撮り続けた。
金色のパゴダを背景に列車が平原を走る様子をカメラに収めようと、炎天下の線路脇で列車が来るのをじっと待ち続けることもあった2人の目的は、日本の支援で近代化に向けた詳細設計調査が進むヤンゴン~マンダレー間の幹線鉄道の将来像を人々に伝えるための動画の制作だ。