「卵、食べてもいいんだ」と気づいた日本人

卵料理、その多様化の秘密を探る(前篇)

2016.03.11(Fri)漆原 次郎

 荻原又仙子著『明治初期の記者 岸田吟香翁』には、1877(明治10)年ごろの「翁」つまり岸田の朝食について、<毎朝、旅舎の朝飯に箸をつけず、兼ねて用意したのか、左無くば旅舎に云付け鶏卵三、四を取寄せ食すだけの温飯一度に盛らせて、鶏卵も皆打割り、カバンから塩焼と蕃椒(とうがらし)を出し、適宜に振かけ、鶏卵和にして食されたものだ>と記している。

 ちなみに岸田の出身地の美咲町は、岸田が卵かけご飯を「日本に広めた説があること」などから、卵かけご飯を町おこしのツールに使っている。

 だが、さかのぼること39年前の1838(天保9)年、鍋島藩(いまの佐賀県)の『御次日記』に、客人への料理として「御丼 生玉子」の記述があることを、食文化研究者の江後迪子が指摘している。

「御丼」がなにを意味するか不明だが、生卵と飯のセットは江戸時代からあったといえそうだ。

調味料としての普及はマヨネーズから

 明治から大正にかけて、洋食文化が入ってくるなかで、卵の食べ方はさらに多様化していく。野菜と肉を煮たところ卵を流しこんでまとめた卵とじ、玉子焼きの西洋版ともいえるオムレツ、さらに卵黄と調味料をかきまぜてつくるマヨネーズなどが登場した。

 日本でマヨネーズの商用生産を始めたのは、キユーピーの創業者である中島董一郎(1883-1973)だ。留学先の欧米で食品技術を学んで帰国した中島は1925(大正14)年3月に「キユーピー印マヨネーズ」を発売する。

 同年には新聞広告も出し始め、当時のキユーピーマークと「瓶詰のカニ、サケ、アスパラガス等に掛けると美味しい御料理となります」と宣伝している。

 こうして、当初日本では長らく食べられてこなかった卵は用途を拡大していった。卵を主役とした料理や、卵を食材として利用した食品が次々と現れたのである。

 日本で卵の消費量が急増したのは戦後のことだ。戦前の1人あたりの消費量は、ピークの昭和10~15年ごろでも年間50個ほど。1週間に1個食べるかどうかだった。

 ところが戦後は米国の食文化の影響を強く受けたことや、卵を量産する技術が進化したこと、さらに新鮮な状態で卵を保存する冷蔵技術が発達したことなどにより、卵の消費量は飛躍的に増えた。

 2014年現在、1人あたり年間329個にもなっているのは、冒頭に紹介したとおりだ。卵を16世紀頃まで長らくほとんど食べてこなかった歴史からすれば、ここ数十年での消費量の増加は爆発的といってよい。

 卵の食べ方がこれほどまで多様化した理由には、卵そのものがもっている調理加工の万能性もある。そこで、後篇では、さまざまな食材に変化することのできる卵の秘密に迫ってみたい。

(後篇へつづく)
 

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