真剣な面もちでアイロンをかける男性工員

教えるのは技術と規律

 とはいえ、この1年の日々は、決して順風満帆ではなかった。3月にオープンした第2工場の規模を2015年中に1500人、2016年前半には2800人規模へと拡大しようと日々奮闘している井口さんにとって、離職率の高さは頭の痛い問題だ。

 雨期になると農作業のために実家に帰る者もいれば、少しでも良い待遇の仕事を見つけたり友人から誘いを受けたりすると躊躇なく職を移る者も多いため、「150人雇っても100人は辞めると言っても過言ではない状況」だと井口さんは指摘する。

 給料をもらった翌日から黙って工場に来なくなる者も決して少なくない。しかし、井口さんはそこで慌てない。目先の給料が若干高いことにつられて工場を移っても、実際には勤務時間が長かったり、

 当時の仲間たちは、現在、環境がもっと苛酷だったりすることが分かり、数日すると素知らぬ風にまた出勤してくる人も少なくないため、1日や2日の無断欠勤では騒がないよう心掛けているのだという。

 「生まれ育った田舎から初めて都会に出てきた10代や20代の若者がほとんど。日本の会社員にとっては当たり前の規範や組織への忠誠心をいきなり求めても、無理があるのは当然」

 とはいえ、ミャンマー政府は8月末、法定最低賃金を全国一律3600チャット/日(約360円)とする方針を突然発表し、9月1日から適用している。井口さんの工場も、この改定によって人件費が約4割跳ね上がるなど、影響は大きい。

でき上がった製品は1つ1つ検品してから袋詰めしていく

 だからこそ、「これからは工員たちにも徐々に会社の規律と規範を教えると同時に、技能の習得を通じて彼らの職業人としての意識を育てていこう」と井口さんは考えている。

 例えば、新しい法律では最低賃金は4割上がったものの、未経験者の新人は最低賃金の50%、経験者であっても試用期間内は75%であると規定されていることを受け、「1回辞めて戻ってくると現在の給料からは減額になる」ことと、「続けて働けば日本の高い縫製技術を習得できる」ことを工員たちに伝え、人材の定着を図ろうとしている。

 冒頭の黄緑色のブラウスを着た現場のリーダーたちも、そうした試みの一環だ。彼らを通じて工員たちに手順を説明させることでチーム意識を醸成したり、生産管理のミーティングを毎日開き、会社の備品を大切にするという基本的なことから仕事のやり方、日本の「ホウ・レン・ソウ(報告、連絡、相談)」を教えたりしているのだ。

 「規律や規範は、日々の仕事の中で根気強く伝え続けていくしかない」。井口さんの口調からは長期戦の覚悟が伝わってくる。

 視察や商談ばかり繰り返し、行動に踏み出さないことから、「NATO」(No Acton Talk Only)や「4L」(Listen, Look,Learn and Leave)と揶揄される日本企業も多い中、いち早く進出を決断し、着実に生産を拡大しつつあるハニーズ。

 ひょんなことからその最前線に立つことになった井口さんにとって、この1年間は、文字通り「あっという間の日々」だった。

 だが、「あさってはダディンジュのお祭りでしょう。今朝、工員たちがセレモニーを開いてくれたので、1人2000チャットずつお小遣いを渡してきたんですよ」と穏やかに笑う井口さんの表情は晴れやかで、戸惑いや試行錯誤をも楽しんでいるような余裕を感じさせる。

 「赴任期間は3年ですが、本社からはできるだけ長くいてくれと言われています」と語る井口さん。先を見据え、これまでの経験を総動員して現地に根を下ろしていく決意に満ちたそのまなざしには、2011年の民政移管後のミャンマーブームに乗ろうとする日本企業の先陣を走っている気概と自負もまた、込められている。

(つづく)