思ってもみなかったことですが、前々回の連載がずっと読まれ続け、うれしい驚きに戸惑っています。続稿が出ても勢いが変わらず、丸1週間以上経ってもまだランクの上位に残っている。
中国、韓国はノーベル賞を当分取れないでしょう。またこの先も当分「取ることができる業績を上げる基本的な体制」が整わないと思われます。
でも、そういう中国や韓国と敵対するとか、優越感を持って彼らに臨むといったことを、ここに書いているわけではありません。
東アジア国際社会、とりわけ経済圏・文化圏のメンバーとして、日本が果たすべきリーダーの役割が明確にあります。
そういう観点から、また分かりやすい指標として「ノーベル賞」を挙げながら、東アジア各国が克服すべき課題を考えてみたいと思います。
科学革命は前時代の革命的否定から
特に自然科学に関する限り、ノーベル賞を受ける業績というのは、必ず前時代には思いもよらなかった、革命的な成果しか選ばれません。
ここに大きな特徴があります。
サイエンスの革命は自由な発想からしか生まれません。つまり、個人の研究者が自由に考え、「これでやるのだ!」と突っ走るのを押しとどめたり、ドグマで押し潰したりすることなく、大きく伸ばすだけの度量ある土壌からしか、本質的に新しい成果は出て来ようがないのです。
例えば昨年1年間、北朝鮮でどのような基礎科学研究が遂行されたのか、正確なところを私は認識していません。が、21世紀に入ってこの15年間、サイエンスの常識を覆すような基礎科学業績や、グローバル・マーケットのシェアを転倒するようなイノベーションは、北朝鮮から1つも出ていないように見えます。
これ、理由のないことではないでしょう。