「悲運の後継者逝く」――。2015年8月14日、サムスングループ創業者の長男である李猛熙(イ・メンヒ=1931年生)氏が療養中の北京で死去すると韓国のメディアはこう大きく報じた。一度はグループ後継総帥の座を手にしながら、創業者である父、後継者となった弟との激しい対立劇に翻弄されてしまった。ここにも韓国財閥のオーナー経営の悲哀と過酷な人生があった。
李猛熙氏の遺体は北京からソウル大病院に運ばれ、弔問所が設けられた。韓国の各界の関係者が続々と弔問に訪れた。
「サムスングループのオーナー家の関係者が続々と弔問に訪れる様子を見て、ようやく故人も浮かばれると思った」。韓国の産業界を長年取材してきた韓国メディアの幹部はこう語った。
サムスンオーナー家、葬儀に勢ぞろい
弔問には、サムスングループを創業した李秉喆(イ・ビョンチョル=1910年~1987年)氏の1929年生の長女のほか、すでに死去している次男と病気療養中の3男、李健熙(イ・ゴンヒ=1942年生)サムスングループ会長を除く妹たちや甥、姪が続々と駆けつけた。
メディアの注目を集めたのは、李健熙会長の長男で事実上のサムスングループの後継者になった李在鎔(イ・ジェヨン=1968年生)サムスン電子副会長と2人の妹(いずれもサムスングループ企業の社長)、李在鎔副会長の母親がそろって姿を見せたことだ。
親族が姿を見せるのは当たり前だが、それでも注目を集めたのは、李猛熙氏の過酷な半生のためだ。
李猛熙氏とはいったいどんな人物なのか。
サムスン創業者の長男
李秉喆氏には韓国内に3男4女がいた。李猛熙氏は長女に次ぐ2番目の子供、つまり長男だった。
李猛熙氏は一時はグループ後継者になっていた。しかし、その後、父親から事実上「断絶」され、さらに晩年は実弟の李健熙氏を相手に訴訟を起こした。まさに波乱万丈の人生だった。