「眼高手低」という四文字熟語がある。「眼(め)高く、手(て)低し」と訓読みされ、もともとは、「目は肥えていて知識もあり批評はするが、自分では実際に行う能力を伴わない」といった意味だ。本来、あまり良い意味では使われないのだが、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士は、「目標は高く、実践は基礎から着実に」という意味で、研究の心構えにしていたという。

 志は高く持ち、実行段階では現場主義(Hands On)で行動が伴っている、という意味では、私も好きな言葉の1つだ。立派な志はあるが、行動が伴わない「眼高手高」、志は無くとも現場で黙々と行動する「眼低手低」、志も低く行動も伴わない「眼低手高」、それぞれ具合が悪い。

 「手低」というのは、「泥に手を突っ込んで、自分の貢献できる専門性で役に立つこと」とも解釈できるだろう。その姿勢に「眼高」という志の高さが伴うと、専門性を磨き抜き匠の域まで昇華させる力となる。不思議と行動に信念と品格が備わるものである。だが、獲得するのは意外に難しい。

 ビジネスも「奉仕」活動である

 眼高手低の分かりやすい例として、海外の最貧民地区で「奉仕」するシスターや、国境なき医師団など、奉仕活動に従事する方々を挙げられる。あるいは、志の高い指導者がある技術を教え込むため、現場に降りて泥臭く後輩のために範を示す姿などが連想される。「奉仕」とはギリシャ語で「ディアコニア」というそうだ。ディアは「~を通して行う」の意、コニアは「塵(ちり)」の意である。すなわち、汚いものを通して何かを行うのが「奉仕」の原義らしい。

 我々の仕事(エグゼクティブサーチの仕事)も、本来要求されるものはこれに近い。泥臭く奉仕する部分と、上流のコンサルティング活動、言い換えれば、徹底した現場感覚と経営感覚がいつも共存していなければならない。なかなか一筋縄にはいかない仕事である。