油を使わなければ真の炒め物にあらず

変わるキッチン(第13回)~炒める

2015.05.29(Fri)澁川 祐子

<一、器具(うつは)は多くは要りませぬ。普通一般の家庭においてありふれたる油に堪ふる鉄鍋一つと、蒸し物をする即ち蒸籠(せいろ)があれば、多くは間に合ふのであります。

一、もし新しくそれがためにお求めになるとすれば、支那鍋と申して特別のものがあります。此鍋は至極重寶(ちょうほう)なもので煮るにも、揚げるにも、焼くにも、煎るにも、皆此を用ゐるのであります。>

 これを読むと、いかにまだ中華鍋が市民権を得ていなかったかが分かる。いまでこそ当たり前の調理道具すら、ほんの100年ちょっと前にはまだもの珍しかったのだ。

こげつかないフライパン登場も軍配は鉄製に

 フライパンや中華鍋が一般家庭に広まるのは昭和に入ってからである。さらに全国津々浦々まで使われるようになるのは、戦後になってからだろう。

 1950(昭和25)年刊の『家庭科図説 目でみる家庭合理化』(沼畑金四郎著、岩崎書店)には、フライパンは<現代生活に最も利用の多い鍋>として、中華鍋は先の『日本の家庭に応用したる支那料理法』と同じく<支那鍋>という名で<量の多いときも少ないときも都合よく使える鍋>として紹介されている。まだ当時は当たり前にあるものというよりは、ぜひ揃えたいものとして捉えられていたことがうかがえる。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る