国立大学大学院出身の「博士の犯罪」が目につくなか、昨年のSTAP細胞詐欺の前段にもあったコピー・ペーストによる「エア学位」など、大学院や修士・博士の学位が狂牛病ならぬ「海綿脳状態」に陥ってしまうのには構造要因があります。

 そうした観点から、今回は「研究不正」の今昔を考えてみましょう。

 1990年代、東京大学を嚆矢として急速に進んだ「平成の大学院重点化」の一大背景として「日本の大学が実質『大学=高等学術研究機関』の役割を果たさなくなったこと」を挙げるべきと思います。

 戦前の教育制度では旧制中学に進学するのが2割以下、旧制高校進学者は原則すべて大学に進みましたが、当時は基本男子だけでした。

 同世代男子の1%にも満たない層が、悪く言えば「学士様」良く言えば社会の中で知のセクターを担う選良の自覚を持って、バンカラな気風のなか、集中的な学習と飛びぬけた能力の発揮を競う、それが旧制高校というものでした。

 余談ながら、昨晩夕食をご一緒した先生は88歳になられますが、高校・大学の先輩で高校は旧制時代のOB、当時の学寮のことなど教えていただきました。

 終戦直後、3つあった学寮のうち、1つは共産党の巣になっていて勉強などできず、もう1つはスポーツ中心の合宿所風、もう1つはナイーブで子供っぽい人が多く、そこはもっぱら静かに勉強ができたとのこと。

 その先輩は海軍兵学校を卒業された年に終戦を迎え、兵学校は中学相当に認められたので改めて旧制高校に入り直し、兵学校では命を捨てる覚悟で勉強していたので高校でも大学でも非常に優秀な成績を収め、今は某大学の名誉教授になられています。

 その先輩の話からは70年前の旧制高校学寮の雰囲気が生き生きと伝わってきて、楽しい時間をご一緒させていただきました。