東京大学本郷キャンパスでの「3.11哲学熟議」に合せて、変化する国際情勢の中での「福島第一原発事故以降」を考えようと思っていた2月末、川崎市の多摩川河川敷で起きてしまった少年惨殺事件。場所は全く異なりますが、私自身も米軍基地にほど近い町で育ち、不良化する少年たちも見てきましたので、強く思うところがありました。
実は現場はそんなに遠い場所ではなく、クルマで小一時間ほどの距離になります。今から10年前「さよなら、サイレント・ネイビー」を書いたときと同様、先週末、ちょうど容疑者が逮捕された直後でしたが、雨のそぼ降る川崎の現場を実際に歩いて、いくつか気づいたことがありました。
報道で活字になっていない、いくつかの点を考えてみたいと思います。
危険な深夜の冬の川
この原稿を準備している最中、週刊新潮3月12日号が主犯格とされる容疑者少年の実名と顔写真を公開報道しました。
私が現地に赴いた時点で、マスメディアでの報道はありませんでしたが、すでにほとんどの情報を得ていたので、短時間でしたが関係する場所を実際に歩いてみました。
まず被害者の自宅と至近である川崎市立大師中学校から始めることにしました。近くにはこの事件の関係者が日常的に遊んでいた大師公園もあります。
中学添いの道を北上してT字路を左折、首都高神奈川6号線と並行して走る京急電鉄大師線の線路沿いに「東門前」「川崎大師」と川崎方向に進む「鈴木町」駅と「港町」駅のちょうど中間、川崎競馬場の手前を右折すると川べりに味の素の工場が見えてきます。
途中、京急の背の低い高架をくぐると、事件現場の河川敷に出ます。周囲に人家はなく夜になれば人気はないでしょう。報道で伝えられる防犯カメラが路地を見守っていました。