新春第1回目の『中山泰秀のやすトラダムス』(1月4日放送/Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)では、今年戦後70年となることを踏まえて中山氏が核廃絶など平和への提言を行ったほか、原油安や円安、安倍政権の経済成長戦略「アベノミクス」などについて語った。
戦火に散った若者の遺書に込められた願い
中山 今年は戦後70年の節目となる年です。かつて我々の先人たちが、まだ見ぬ子供たちの時代のために、そして日本が二度と戦争のない平和な国になることを願いながら、尊い命を懸けて先の大戦に臨んだことを今一度思い起こす機会でもあります。
実は靖国神社の社頭には、特攻隊など祖国のために斃れられた英霊の遺書や書簡が毎月掲示されているのをご存じでしょうか。私は幼少時代、靖国神社を訪れるとよく母親にこの遺書を読み聞かせてもらったのを覚えていますが、今は同じように自分の娘に読み聞かせるようにしています。
今月掲示されているのは、陸軍軍曹の本多正さんという方が24歳で書かれた遺書です。この方は東京都新宿区牛込改代町出身で、昭和19年2月24日にマーシャル諸島ブラウン島にて戦死されています。内容は下記の通りです。
「妹へ 呉々も身体に注意して俺の分まで母さんに孝養を尽してくれ。古来の日本婦人の如く、又、母さんの様に我を強く内に蔵してしとやかな日本婦人になる様修養してくれ。よき母こそ日本を実に興隆させる原動力になる事を自覚して。言ふなかれ一髪のみと我が魂は七度生まれ祖國守らば 澄子殿」
自分のたちの母親のように、妹にもまたよき母になってもらいたい。そして、そうした女性たちがやがて日本を動かす礎になってほしい。そんな思いを抱いて戦地に赴かれた先人の存在があってこそ今日の平和があることを、我々は決して忘れるべきではありません。
戦後70年を機に、命がけで国を守った方々に心からの敬意と感謝の念を表すると同時に、もっと平和についてよく考え、議論を深めるきっかけになってほしいと切に願います。
アフリカの少女が作文に綴った「広島、長崎」
大戦末期、我が国は広島と長崎に原爆を投下され、核兵器の惨禍を体験しました。
私はかつて外務大臣政務官を務めていた頃に、アフリカのニジェール共和国の小学校を訪問したことがあります。
その時に1人の少女が作文を読んでくれたのですが、作文の中で彼女が「広島」「長崎」という固有名詞を口にしたのを今も覚えています。