正月の箱根駅伝では青山学院大学が過去最速で襷をつなぎ初優勝した。伝統は確かに大切だが、時代の変化に勢いがつき始めるとそれはむしろ変化を妨げる重しにもなりかねないことを証明しているように思えた。

 また、正月の大学ラグビー準決勝に、学生ラグビーの顔とも言える早稲田大学と明治大学の両校とも出場は叶わなかった。学生選手権で連勝を重ねている帝京大学の挑戦に伝統校の「伝統」は全く太刀打ちできていないように見える。

明治維新から100年以上経ってようやくできた大学

30人の定員がすぐに埋まってしまう会津大学企画・開催の「サイバー演習」

 それは今回の主題である会津大学にも重なるものがある。過去の成功体験にまとわりつかれて長い間停滞を続けてきた日本が、ようやく新たな挑戦へ向かう姿が透けて見えてくるのである。

 明治維新以後、薩長中心に駆け足で発展してきた日本はバブル崩壊後に長い停滞を続けてきた。そこから抜け出す1つの方法を、薩長に徹底的に目の敵にされた会津が示しているというのは歴史の皮肉と言えるかもしれない。

  戊辰戦争に敗れた会津藩士は遠く下北半島に流され斗南藩として生き残ることを許される。しかし、厳しい自然環境と実際には半分以下の禄高しかない状態で藩士の多くが寒さと飢えで死んでいく。

 そして、会津には長らく4年制大学を設置することすら許されなかった。教育はその国を強くするが、権力に対抗する勢力の場合にはまずここを弱体化させる必要があると考えたのだろう。

 明治維新から100年以上の年月を経て、1993年、会津はようやく4年制大学の設置を許された。それが会津大学である。ただし、総合大学ではなく、単科大学としてスタートを切った。

 総合大学が認められなかったのかあるいは気を遣ったのか、本当のところは分からない。しかし、この単科大学としてのスタートは結果的に正鵠を射た戦略となった。