イラクがまた奈落の底に沈みつつある。イラク第二の都市モスルがアル・カーイダ系の武装組織「ISIS(イラクとシャームのイスラム国家)」の攻勢にあっけなく陥落したことは、イラク人にとっても衝撃的だった。ISISは、そのスローガン「生き残り、拡大する(baqiya wa tatamadad)」の通り、不死鳥のように甦った。
そして現在でも、イラク北部の諸都市をおさえたISISとイラク治安部隊との間で、首都バグダードから北東のディヤーラ州や石油精製施設のあるバイジで戦闘が続いている。ISISは、ちょうど2006年以前にその前身の「イラクのアル・カーイダ(AQI)」指導者ザルカーウィーが構想したように、首都バグダードを丸く囲む形で首都包囲網を形成しようとしていると見てよいだろう。
実は驚くべきことに、モスル陥落から10日ほど経った今では、モスルの多くのスンニ派住民たちは、シーア派が牛耳る中央政府が派遣していたイラク軍が街を去ったことを喜び、地元の言葉を話すISISメンバーによる支配に甘んじているという。
モスルで現在展開されている光景は、当初の報道とはずいぶん異なる様相を見せ始めている。モスルのスンニ派住民にとってみれば、シーア派の駐留軍より、ジハード主義者であれ、スンニ派の同胞による支配の方がよっぽどましなのだろう。
2003年のイラク戦争よりすでに11年もの年月が過ぎるというのに、イラク国家は新たな国民国家を創出できず、結局、シーア派、スンニ派、クルドという3つの宗派と民族に分かれつつあるかに見える。今、イラクは、1つの国家としてその歩みを続けられるか否かという、イラク戦争後で最も深刻な危機に直面している。
本稿では、イラクを待ち受ける近未来について少しばかり踏み込んで予測を行ってみたい。
シリアの混乱を通じて拡大したISIS
現在のイラクの混乱の直接的な背景には、シリア情勢の混迷が過激派を増長させたことがある。
アラブの春から3年を経て、シリアの北東部はジハード主義者の巣窟と化した。中でも、イラクのアル・カーイダから発展した「ダーイシュ(アラビア語で言うISISの略語)」は、外国人を含む新たなジハード主義者をリクルートしつつ、その自律性と残虐性を増してきた。
ISISは、この2年程の間に、シリアとイラクの国境沿いの町々に支配を確立するばかりではなく、本年初頭にはシリア北部の諸都市を制圧した。そして、アル・カーイダの指導者アイマン・ザワヒリの指導にすら耳を傾けず、シリア人を中心とする「ヌスラ戦線」などのイスラム過激派との間でも衝突を起こすまでになった。