4月になりました。新しい年度を迎えるに当たって(執筆している今日が4月1日ということもあり)架空大学の新入生歓迎祝辞のつもりで(あるいは架空企業の入社式でもいいんですが)このところ思っていることをお話ししたいと思います。

 今日は「ある国にとって、ある国民にとって、本当の誇りとは何か」というテーマを一緒に考えてみましょう。仮にいま、仮想聴衆を18~20歳、つまり1994~96年頃に生まれた人々という設定で、以下お話ししてみます。

 私は祝辞を垂れるような長の字のつく立場とはたぶん一生縁がありませんが、若い諸君にエールを送りたい気持ちはエラい人たちと同様(?)持っているつもりです。

私たちはどういう時代を生きているか?

 21世紀も第2ディケード、つまり2010年代半ばにさしかかり、私たちがいったいどういう時代を生きているかを考えてみましょう。

 皆さんの多くが生まれた1990年代半ば、世界は「冷戦後」の曲がり角を迎えていました。1989~91年にかけて、米ソ両大国の緊張関係を軸とする第2次世界大戦後の「冷戦構造」が消失し、国際社会は大きな変化の時期を迎えました。

 1990年代、EUはマーストリヒト条約を締結し、念願の「不戦の共通通貨」ユーロを導入しました。

 ソ連という超大国を失ったことで米国は「世界の警察官」を自任、一国超大国体制の下で第1次湾岸戦争が戦われ、その報復として実行された9.11同時多発テロののち第2次湾岸戦争を経て、悪の元凶とされたサダム・フセインもオサマ・ビン・ラディンも命を失い、1つの歴史が幕を閉じました。

 2010年末、チュニジア暴動に端を発する「アラブの春」と呼ばれたイスラム市民革命的な動きは、インターネットや携帯電話、アル=ジャジーラを中心とする国際放送など、冷戦=冷戦後に発達した情報メディアの変化を背景とするものでしたが、歴史の流れは必ずしも民主化の方向には進んでいません。

動き始めてしまった歴史を自覚しよう

 米国経済は2000年代、ネットバブルの崩壊後、様々な要因でゆっくりと下降線をたどり、米国は「世界の警察官」の役割を自ら降りる決断をします。

 米国は中東和平の後見人たることを少しずつ放棄し、「冷戦後」の体制であった「アメリカの平和=Pax Americana」一国超大国の時代は2013年までに終わりを告げます。それを嫌でも顕在化させたのが、2014年初「ソチ・オリンピック」と表裏して進められた、ロシアによる「クリミア併合」と言えるでしょう。

 2014年、まさに世界の歴史は動いています。日本国内だけを見ていては、こういうグローバル社会の変遷を見て取ることはできません。若い皆さんには、ぜひ世界に目を開いてほしいと思います。