サムスン電子が携帯電話機市場で世界1位に浮上したのはこの「火あぶり式」が原点となった。
「新経営宣言」を出した記念日にCEO人事を実施したのは、李会長の強い決意の表れだ。
今回の人事の最大の目玉は、崔志成氏が副会長のまま新しいポストに就いたことだ。サムスングループ最大の企業のCEOを外れるが、これは「昇格人事」だ。
未来戦略室というのは名称だけを見るとグループの新規事業を開拓、育成する組織だ。もちろんそういう機能も担うが、もともとこの組織はグループ会長秘書室だった。何度かの名称変更を経て今の未来戦略室になった。
猛者ぞろいのサムスンでも図抜けた存在の崔志成氏
未来戦略室は会長直属の組織だ。新規事業を育成するだけではなく、グループ全体の経営戦略を決める。さらにグループ企業全体の経営をチェックするほか、役員人事も握っていると言われる。崔志成氏はだから、会長の補佐役としてグループ全体の経営に目を光らせる。グループで会長に次ぐナンバー2の座に就いたことになる。
崔志成氏はソウル大貿易学科卒後サムスン物産に入社した。ドイツ駐在員だった1980年代に知名度が低かったサムスン製半導体メモリーを売りまくったことで頭角を現した。
猛烈営業マンではあるが、同時に1981年から4年間と1993年から1年間、グループの本部機能を果たしていた会長秘書室で勤務した経験がある企画通でもある。2度の秘書室勤務を経て、参謀役としても李会長から高い評価を受けていたという。
サムスン電子に移ってからは、テレビ事業の責任者として長年世界シェア1位の座を独占していたソニーに追い付き追い抜く作戦を指揮してこれを実現させた。テレビに続いて携帯電話機を世界シェア1位の中核事業に育て上げた。こうした実績を背景に、歴代エンジニア出身者が占めてきたサムスン電子CEOに就任していた。