国民の生活は苦しくなる一方で、ついに昨年末には市民が街頭に出て、「ハメネイに死を」などと叫んで、抗議集会を行った。そして、政府当局の弾圧によって数百人~数千人が死亡したとされている。

 トランプは、このような国民の反政府運動を鼓舞激励するメッセージを送るとともに、イラン政府に対しては民主的デモを弾圧しないように警告した。そして、イランの体制を転換する好機が到来したと判断した。

 こうして、昨年12月末から軍事攻撃の準備を開始したようである。

実務者協議は米国のカモフラージュ工作の一環か

 一方では、アメリカはイランとの間で核協議を続けた。アメリカは、イランに核開発の全面停止、ウラン備蓄の引き渡し、核施設の解体を求めたが、イランは核の平和利用の権利はあるとして、その要求を退けた。イスラエルは核兵器を保有しているのに、なぜイランのみが核開発を止めなければならないのかという主張である。

 仲介役オマーンのバドル・アルブサイディ外相は、米軍の攻撃開始1日前の2月27日には、協議は「大きな進展があり、来週にはウィーンで実務者レベルの協議が行われる」と述べていた。今にして思えば、この協議も、アメリカの攻撃計画を隠すためのカモフラージュ工作であったようである。

 トランプは、空母エイブラハム・リンカーンに加えて、空母ジェラルド・フォードを地中海に追加派遣し、軍用機や艦船をイラン周辺に集中させた。その軍拡状況を明らかにすることによって、イランに圧力をかけた。

 しかし、イランは原子力の平和利用は推進するとして、アメリカとの妥協は困難を極めた。

 昨年の6月13日にイスラエルは、イランの核施設などを奇襲攻撃し、22日には米軍も核施設を攻撃した。イランも反撃したが、アメリカとカタールの仲介によって、双方が勝利を宣言して、25日には停戦となり、戦闘は12日間で終結した。

 この攻撃の「成果」については、諸説ある。アメリカ国防総省の情報局(DIA)は、イランの核開発の中核部分は破壊されておらず、計画を数カ月遅らせる程度にとどまったのみだというが、CIAは、「再建には数年かかるだろう」と指摘した。