これらすべてを、あきれながらも黙って耐え忍んできた挙句の「7000人殺害」である。日本のこととして、一瞬でも想像してみてほしい。怒りを覚えないほうがどうかしているというものだろう。

 ちなみに、昨年6月の戦争(いわゆる12日間戦争)の後、「体制に愛想を尽かしていたはずのイラン国民が、外的脅威に対して目を見張るべき結束を示した」などといった言説が、イラン国内はもちろん国外でも、まことしやかに出回っていたが、私から見ればほとんど一笑に付すべき戯言であった。

数千年の歴史を刻んだ「祖国」と、たかだか40数年前に生まれた現在の「体制」

 そもそも、ここでいわれた「イラン国民」とは、実態としてはイランの体制派だけを指す、“イスラム”体制おなじみのレトリックに過ぎなかった。戦争中、たしかにイラン人は反体制的な言動を控えたし、苦しい時期をともに乗り越えようと、普段以上の相互扶助の精神を発揮していたと私も思う。しかし、それは戦争を機に国民と体制の結束が強まったことを意味しない。

 なぜといって、そのころ友人のレザ君(40代)がいみじくも語っていたように、「あの12日間にイラン人が守ろうとしたのは祖国イランであり、“イスラム”体制ではなかった」からである。彼らの理解では、数千年におよぶ悠久の歴史を刻んできた「祖国」と、たかだか40数年前に生まれたポッと出の「体制」とは、まったくの別物なのだ。

 このような認識は、トランプ大統領がアラビア海に空母打撃軍を派遣し、「交渉が合意に達しなければイランを攻撃する」と脅している現在も変わっていない。いま、(本来の意味での)イラン国民の多くは、米国による対イラン攻撃を今か今かと心待ちにしている。