ただ、そうだとしても、今回のデモにおける死者数はあまりに多く、体制の残虐性と野蛮性がまさかここまでのものとは、さすがにイラン人も思っていなかった。「ショック」の理由は、ここにある。

 イランでこれまでに起きた数々の反体制デモでは、死者多数との報道はなされても、実際に自分の身近な人が殺されたという人はあまりいなかった。しかし今回は、「友人の親戚」とか、「通っているジムでいつも見かけた人」といった距離感で、直接の訃報に接した人たちが私のまわりに結構いる。

 それゆえに、深い「悲しみ」がイラン社会を覆っているわけである。全国で3万とか6万とかいわれる死者数を、決して桁違いの誇張ではないとイラン人が感じているのもそのためだ。

「灰の下に隠れた熾火は、いつかまた燃え盛る炎となって吹き出す」

 そして、3つ目の「怒り」である。そもそも、この怒りの根源は、少なくとも2022年のいわゆる「女性、生活、自由の運動」にさかのぼる。

 女性に対するスカーフ着用強制への反発から始まったこの反体制デモは、収束までに若者を中心に500人を超える犠牲者を出し、国民と体制のあいだに大きなしこりを残した。拙著『イランの地下世界』でも述べたように、「灰の下に隠れた熾火は、いつかまた燃え盛る炎となって吹き出すに違いない」というのが、当時からイラン人の共通認識だった。

 このデモの後、“イスラム”体制は、大統領に“改革派”のペゼシュキアーンを据えることで和解を図ろうとしたが、国民のほうはそんな小手先の懐柔策に乗っかるつもりはさらさらなかった。

リアルなイランの姿を描いた著者の近著『イランの地下世界

 実際、ペゼシュキアーンの大統領就任後も通貨リアルの下落は止まらず、物価高は加速、生活が苦しくなるなか停電や断水も常態化し、昨年6月には最後の望みだった対米協議も実を結ぶことなく、イランはイスラエルと米国に攻撃される憂き目を見た。

 これにより、いよいよ“イスラム”体制が、国民の生存権すらまともに守れず、ただ右往左往するだけの「ザ・ポンコツ」であることが、白日の下に晒されてしまった。