なぜ欲求ではなく「必要」に光を当てるのか?
中村:経済学における「欲求」とは、基本的にお金の支払い意思として表現されるものです。市場経済は、その欲求に応えるかたちで生産を拡大してきました。そして、このプロセスこそが人々の幸せを増やすのだ、というのが従来の経済学の考え方でした。
けれども、やみくもに生産を増やすことが本当に人を幸せにするのかという点については、私は疑問を感じています。
日本は先進国であり、GDPで見ても他の先進国に劣っているわけではなく、基本的なモノやサービスに事欠く水準ではありません。それらが今以上に増えたとして、多くの人がより幸せになるかと言えば、必ずしもそうとは思えません。
そこで本書では、人々が本当に求めるものを「必要」と定義しました。それは、本人にとって切実であるだけでなく、他者から見ても「求めて当然だ」と認められるものです。たとえば、「使い捨てられるような働き方をしたくない」「差別を受けずに生きたい」といった思いは、欲求ではなく「必要」だと考えられます。
ところが、「必要」はお金の支払い意思として表れにくいため、市場の中では可視化されません。GDPをどれだけ増やしても、そうした「必要」が満たされるとは限らない。だからこそ、いま改めて「必要」に光を当て、それを満たす方向へ社会を動かすことが豊かさを実現する道だと考えています。
──「生産に貢献した人を称え、そうでない人を低く評価する」という価値観の不合理性についても指摘していました。
中村:「働いていない人には価値がない」という考え方を、誰もが積極的に支持しているわけではないと思います。けれども、多くの人が「働かざる者食うべからず」という勤労倫理のもとで生きているため、働いていない人や生産に貢献していない人は、あまり社会の役に立っていないのではないか、と無意識に感じているのではないでしょうか。
稼いでいる人に価値があり、そうでない人には価値がないという発想は、働いている人同士が「自分たちは社会にプラスのことをしている」と互いに確認し合い、安心する心理から生まれているように思います。
その心理が強まると、働いていない人、働けない人は社会から排除され、活躍の機会を失っていく。そして、「役に立っていない存在だ」という見方が固定化されてしまう。これは価値観に根ざした社会構造なので、簡単に変えられるものではありません。
ただ、働いていない人や生産に直接貢献できない人も、それぞれの場所でよい人生を歩める可能性がある。もしそういう姿に触れる機会が増えれば、そういった人々の価値も認めようという、ある意味鷹揚な考え方にシフトしていくのではないかと思います。