「持ち込ませず」は何度も破られてきた?
非核三原則の3番目「持ち込ませず」は、これまで何度も破られてきたとされています。
1つは、1960年の日米安全保障条約の改定で生まれた「事前協議」制度です。これは、日本の基地を日本防衛以外の目的で米軍が使用する際や、米軍の配置・装備に関する重要な変更を行う際、日本政府との事前協議と同意を義務付けたものです。核兵器を日本に持ち込む場合は当然、事前協議の対象になると日本国民に説明されていました。
ところが、1974年に「ラロック証言」が飛び出します。米海軍の元少将だったジーン・ラロック氏は米国の上下両院合同原子力委員会の公聴会に証人として出席し、次のように証言したのです。
「私の経験によれば、核兵器を積み込める艦船は全て核兵器を積み込んでおり、日本やその他の国々の港に入るに当たって核兵器を降ろすことはない。艦船がオーバーホールや大規模な修理を受けるための寄港の場合を除いて、通常はいつも核兵器を艦船内に積み込んだままである。そこには、これらの核兵器をうっかり使ってしまうかもしれないという現実の危険性がある」
日本政府は「米国からの事前協議がない=核の持ち込みはない」という論理で核の持ち込みを否定しましたが、苦しい言い訳だと解釈されました。
さらに2000年代以降、調査報道や米国の外交文書の公開などによって、日米間には「核の持ち込み密約」が結ばれていたことも明るみに出ます。これは、核兵器を搭載する米軍の艦船・航空機が日本に寄港・立ち入りする際には、「事前協議」を不要とするというもの。1960年の安保条約改定時に密かに結ばれていました。半世紀近くも日本政府は国民を欺いていたわけです。
このほか、沖縄や岩国(山口県)、三沢(青森県)などに置かれた米軍基地には核兵器が持ち込まれていたとする報道が再三、行われています。