佐藤栄作首相が表明、その後「国是」に

 そもそも非核三原則とは、どういうものでしょうか。

 初めて表明したのは佐藤栄作首相です。1967年12月の衆院予算委員会でのこと。防衛問題に関する基本姿勢を問われ、佐藤氏は次のように答弁しました。

「私どもが忘れてはならないことは、わが国の平和憲法であります。また核に対する基本的な原則であります。核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます」

 当時の日本は、敗戦から20年余りしか経っていません。「もはや戦後ではない」(1956年の経済白書)という時期を過ぎ、高度経済成長を謳歌していたとはいえ、人々には戦争の悲惨な記憶が鮮明に残っていました。

 一方、日本政府は1960年代半ば以降、米国に占領されていた沖縄の返還交渉に着手します。広島と長崎に原爆を投下され、世界唯一の戦争被爆国となった日本では、被爆者だけでなく、国民全体が核兵器を強く拒絶していました。

 ところが、沖縄返還をめぐっては、核兵器を搭載する米艦船の日本寄港をどうするかという問題が浮上します。沖縄はアジアにおける米軍の要衝であり、米軍が核兵器を持ち込んでいるのは明らかでした。では、返還後に日本となる沖縄に米軍の核兵器を持ち込ませていいのか。そうした世論の反発を抑える回答の1つが「持ち込ませず」だったのです。

 佐藤首相は当時、非核三原則を国の方針とすると同時に「国際的な核の脅威、わが国の安全保障については、アメリカの核抑止力に依存する」(1968年10月の国会答弁)と繰り返しました。いわゆる“核の傘の下”で安全保障を達成するという考え方です。

 非核三原則の堅持はやがて、国権の最高機関である国会で何度も決議されました。法律による決定事項ではありませんが、度重なる国会決議を考えれば、まさに「国是」と呼ぶにふさわしい重みを持つものと言えます。

図表:フロントラインプレス作成

 また、三原則のうち、「持たず」「つくらず」については、核兵器の製造も入手も禁ずる「核拡散防止条約(NPT)」に1976年に加盟したことで国際的な義務になりました。原子力基本法も核の利用を発電や医療などの平和目的に限定しており、「持たず」「つくらず」を放棄すれば同法違反となります。

 そして、残るのが「持ち込ませず」です。