主語がなくても日本語の会話が成立する理由

水野:いくつか理由があります。

 まず挙げられるのは敬語の存在です。敬語は、単に敬意を示すための形式と捉えている方も多いと思います。けれども、研究者の中には「話者間の距離を示すシステム」や「主語を推測するためのシステム」と考える人もいます。

 古文を思い出していただくとわかりやすいのですが、古文では主語がほとんど明示されません。その一方で、「たまう」「たてまつる」などの尊敬語・謙譲語が、主語を暗示する役割を果たしていました。こうした歴史的背景があるため、現代日本語にも主語を省く傾向が根付いているのかもしれません。

 例えば「先ほど申し上げましたが……」と言えば、主語は「自分」であり、「申し上げた相手」がその場にいる目上の人だと即座に分かります。

 さらに、日本語には授与動詞を補助動詞化した表現(ベネファクティブ)があります。日本語におけるベネファクティブは、モノや行為のやり取りを表す動詞が別の動詞の後ろにつき、話し手・聞き手・第三者の関係性を反映します。大きく分類すると「主語が一人称か二人称か」「求心的/遠心的」の2軸があります。

「遠心的」は自分から遠ざかる方向にモノなどが移動、「求心的」は自分に向かってモノなどが移動するイメージで、「~てやる」(遠心的かつ主語は自分)、「~てくれる」(求心的かつ主語は自分以外)、「~てもらう」(求心的かつ主語は自分)の3系統があり、これによって主語を推測できます。日本語話者は、これらの形式から文の主語が誰なのかを判断しているのです。

 つまり日本語は、単に主語を省略しているのではなく、敬語やベネファクティブといった別のシステムを活用して主語を推測できるようにしている。ある意味で非常に省エネな言語だといえるでしょう。

──「主語が省略できる」というのは、やはり日本語特有のものなのでしょうか。

水野:そうとは限りません。日本語以外でも主語を省略する言語はあります。

 逆に「主語を省略する」ことを普通だと捉えると、主語を明示しなければならない英語のような西欧言語のほうが特殊と感じられるかもしれません。

 さらに「主語を省略する」という表現は、「本来はあるべきものが欠けている」というニュアンスを含んでいるように思われます。そのため、「主語を省略する」日本語は言語として正しくない、曖昧だと誤解されてしまうかもしれません。

 ただ、前述のとおり、日本語はあえて主語を明示しないことで効率化を達成している超省エネ言語です。他の主語が省略できる言語も、必ず何らかの論理的理由を持ってそうなっているはずです。