松江市に残る武家屋敷跡 写真/m.Taira / PIXTA(ピクスタ)
(鷹橋忍:ライター)
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』において、主人公の松野トキの実母・北川景子が演じる雨清水タエが、物乞いとなる姿は、視聴者に大きな衝撃を与えた。今回は、松野トキのモデルである小泉セツの実母・チエの生涯を取り上げたい。
類まれな美貌の持ち主
セツの実母・チエ(松寿院)は、天保8年(1837)3月21日に、松江藩家老職・塩見増右衛門の一人娘として生まれた(兄弟は、小兵衛、源三郎、銀之助、鈴之助の4人)。
塩見家は禄高千四百石で、セツの手記「オヂイ様のはなし」(小泉節子『思ひ出の記』)によれば、使用人を30人近く抱えており、屋敷は殿町(とのまち)二の丸のお堀の前にあった。
殿町とは高級の士(さむらい)の大きな屋敷が建つ場所である。
塩見家の屋敷は、セツが松江にいた頃には勧業場(勧工場。現在のショッピングセンターの原型ともいわれる商業施設)になっていたが、当時は狸や狐が住み、それらが折々、化けて、いたずらをしたと伝えられるほど広大だったという。
チエは、「御家中一番の御器量」と褒め称えられるほどの、類まれな美貌の持ち主だった。
すらりとしており、後に夫となる小泉湊よりも背が高かった。
その姿は江戸時代中期の浮世絵師・鳥居清長が描く錦絵美人に例えられる。
凄惨な過去
セツの長男・小泉一雄の随筆『父小泉八雲』によれば、チエは幼い頃から、京や大坂から招いた師匠から芸事の稽古を受けており、三弦(三味線)は玄人も舌を巻くほどの腕前だった。
だが、声高に唄うことはほとんどなく、日常の会話もヒソヒソ話に近い声だった。
また、江戸時代の小説は大抵、読破しているほどの読書家であり、大変に能筆でもあった。
「蝶よ花よ」と育てられたチエであるが、悲しい事件にも遭遇している。
チエは13歳の時にほぼ同格の武士の家に嫁いだが、婚礼の夜に結婚相手が愛妾と無理心中してしまったのだ。
この時、チエは取り乱すことなく、毅然と振る舞い、人々の称賛を浴びた。
チエはすぐに里方に引き取られたが、「嫁に欲しい」という申し込みが殺到している。
決めかねて、当人に尋ねたところ、チエは「小泉へなら」と答え、小泉湊に嫁いだ。
チエは数えで15歳、湊は16歳だったという。
小泉家は塩見家より禄高も遙かに少なく、なぜ、チエが湊を選んだのかは定かでない。