零落

 チエの実家である塩見家をはじめ親戚も零落しており、チエには頼れる相手はいなかった。

 かといって、チエには働く術もなく、家に残る家財道具などを売るのが、唯一の生計を得る手段であった。

 やがて売る物が尽きると、ドラマのタエと同じように、物乞いの身に陥っている。

 実母のこの境遇は、セツが「洋妾(ラシャメン)」と後ろ指をさされるのを覚悟の上で、ラフカディオ・ハーンのもとで働く決意を固めたことの一因になっていたと思われる。

 明治24年(1891)2月初旬頃、ハーンのもと住み込みで働くようになったセツは、同年6月に、松江市北堀町の武家屋敷で、夫婦としての生活をスタートさせた(小泉八雲記念館『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』)。

 ハーンは100円の給料の中から、セツの養父母や、実母・チエのために、15円を出費したという(工藤美代子『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯 【日本編】』)。

 小泉一雄によれば、セツは養父母の稲垣金十郎・トミは引き取って同じ家で暮らしたが、チエは常に大阪に置き、月々の生活費を送った。

 それは養父母への気兼ねと、セツの弟・藤三郎に問題があったからだという(小泉一雄『父小泉八雲』)。

 明治45年(1912)1月、チエは大阪で死去した。

 セツはチエが病に罹った時に、自ら大阪に赴き看病するなど、孝行を続けたという(長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』)。

 波乱の人生のなかで、セツという娘に恵まれたことは、幸せだったのではないだろうか。